ただのバブルで終わるのか?
一方でこうした状況に対し、Web3は単に投資を集めたいがためのバズワードになっているのではないか、という批判がある。ドットコム・バブルの際と同様に、Web3についても、その実力以上の期待が寄せられているのではないかというわけだ。
オライリーは前述の記事の中で、ニューヨークタイムズ紙の記事を例に挙げ、いまWeb3に注目する声の多くが、ブロックチェーン技術によって実現される分散型ウェブの有用性に焦点を当てるのではなく、投資家や開発者がどのくらい儲かりそうか、あるいはWeb3上で管理や取引される資産の額がどれほど巨額になっているか、といった話に終始していると批判している。そしてベンチャーキャピタルによる投資も、そこで行われる取引の額も、特定の企業やサービスの永続的な成功を示すものではないと指摘した。
実際にいまの暗号通貨の多くは、日常的な経済活動に使われる手段というより、主に投機対象として扱われているのが現状だ。また暗号通貨やNFTを通じて、脱税やマネーロンダリングといった違法行為を実現できることも指摘されており、実際に問題を起こして取り締まりを受けた暗号通貨取引所も少なくない。個々の具体的なサービスやアプリケーションがもたらす、プラスとマイナス両方の側面に目を向けて対処しなければ、かつてのドットコム・バブルの時と同じように、単に投資を呼び込むことが目的の声に踊らされる結果に終わってしまうだろう。
では仮に、Web3が目指すものが正しく実現されたとして、それは分散化されたウェブを永続的にもたらすものになるのだろうか。オライリーはこの点についても疑問を投げかけている。彼は次のような過去の例を引き合いに出して、脱中央集権化の動きは簡単に覆され得る、と警鐘を鳴らしているのだ。
私はWeb3のビジョンにある理想主義が好きだが、私たちは以前にも同じような経験をしている。私はキャリアの中で、分散化と再中央集権化のサイクルを何度も繰り返してきた。パーソナルコンピュータは、誰もが作ることができ、誰もコントロールしないコモディティPCアーキテクチャを提供することで、コンピューティングを分散化させた。しかしマイクロソフトはプロプライエタリなOSを中心として、業界を再中央集権化する方法を考え出した。オープンソースソフトウェア、インターネット、ワールド・ワイド・ウェブは、フリーソフトウェアとオープンプロトコルでプロプライエタリなソフトウェアの支配を打ち破ったが、数十年のうちに、グーグルやアマゾンなどがビッグデータを基盤とした、新しく巨大な独占状態を築き上げたのである。
Web3の基盤となる、ブロックチェーンを軸とした分散型アプリケーションの技術は、ようやく実装の段階に入ったところだ。そして実装には優秀な技術者と開発資金が必要であり、それ故に多額の資金を集められるようなアピール力を持つスタートアップや、体力のある大企業が主導権を握る形でプラットフォームの構築が進められている。そうした企業が開発に費やした資金を回収するために、何らかの形で別の再中央集権化を画策する可能性も残されている。いずれにしても、現時点でWeb3が世界を一変させるような「真のイノベーション」と言えるのかどうか、判断するのはまさに時期尚早といったところだろう。
もちろん、仮にWeb3が単なるバズワードに終わったとしても、それが何も残さないというわけではない。ドットコム・バブルの時代、有象無象の企業に多額の資金がつぎ込まれ、その多くが単なる無駄遣いに終わった。しかしその一部から、バブルに続くWeb 2.0の時代を担う企業が登場したのである。もし「ドットコム」というキーワードに注目が集まらず、ハイリスクなアイデアに金を出そうという人が集まらなかったら、そうした企業も日の目を見ずに終わっていた可能性が高い。そして大量の投資が集まったからこそ、コストのかかるインフラが構築でき、法規制などルールの整備も進んだと言えるだろう。
もし同じパターンがWeb3で繰り返されたとすると、熱狂的にもてはやされる時期が過ぎてから、2020年代の中頃に真の社会変革がもたらされるのかもしれない。果たしてどれが本物のイノベーションなのか、バズワードに流されるのではなく、個々のサービスやプラットフォームを精査することが求められている。
バブルか、真のイノベーションになるのかはここから数年にかかっているだろう。
オライリーは前述の記事の中で、ニューヨークタイムズ紙の記事を例に挙げ、いまWeb3に注目する声の多くが、ブロックチェーン技術によって実現される分散型ウェブの有用性に焦点を当てるのではなく、投資家や開発者がどのくらい儲かりそうか、あるいはWeb3上で管理や取引される資産の額がどれほど巨額になっているか、といった話に終始していると批判している。そしてベンチャーキャピタルによる投資も、そこで行われる取引の額も、特定の企業やサービスの永続的な成功を示すものではないと指摘した。
実際にいまの暗号通貨の多くは、日常的な経済活動に使われる手段というより、主に投機対象として扱われているのが現状だ。また暗号通貨やNFTを通じて、脱税やマネーロンダリングといった違法行為を実現できることも指摘されており、実際に問題を起こして取り締まりを受けた暗号通貨取引所も少なくない。個々の具体的なサービスやアプリケーションがもたらす、プラスとマイナス両方の側面に目を向けて対処しなければ、かつてのドットコム・バブルの時と同じように、単に投資を呼び込むことが目的の声に踊らされる結果に終わってしまうだろう。
では仮に、Web3が目指すものが正しく実現されたとして、それは分散化されたウェブを永続的にもたらすものになるのだろうか。オライリーはこの点についても疑問を投げかけている。彼は次のような過去の例を引き合いに出して、脱中央集権化の動きは簡単に覆され得る、と警鐘を鳴らしているのだ。
私はWeb3のビジョンにある理想主義が好きだが、私たちは以前にも同じような経験をしている。私はキャリアの中で、分散化と再中央集権化のサイクルを何度も繰り返してきた。パーソナルコンピュータは、誰もが作ることができ、誰もコントロールしないコモディティPCアーキテクチャを提供することで、コンピューティングを分散化させた。しかしマイクロソフトはプロプライエタリなOSを中心として、業界を再中央集権化する方法を考え出した。オープンソースソフトウェア、インターネット、ワールド・ワイド・ウェブは、フリーソフトウェアとオープンプロトコルでプロプライエタリなソフトウェアの支配を打ち破ったが、数十年のうちに、グーグルやアマゾンなどがビッグデータを基盤とした、新しく巨大な独占状態を築き上げたのである。
Web3の基盤となる、ブロックチェーンを軸とした分散型アプリケーションの技術は、ようやく実装の段階に入ったところだ。そして実装には優秀な技術者と開発資金が必要であり、それ故に多額の資金を集められるようなアピール力を持つスタートアップや、体力のある大企業が主導権を握る形でプラットフォームの構築が進められている。そうした企業が開発に費やした資金を回収するために、何らかの形で別の再中央集権化を画策する可能性も残されている。いずれにしても、現時点でWeb3が世界を一変させるような「真のイノベーション」と言えるのかどうか、判断するのはまさに時期尚早といったところだろう。
もちろん、仮にWeb3が単なるバズワードに終わったとしても、それが何も残さないというわけではない。ドットコム・バブルの時代、有象無象の企業に多額の資金がつぎ込まれ、その多くが単なる無駄遣いに終わった。しかしその一部から、バブルに続くWeb 2.0の時代を担う企業が登場したのである。もし「ドットコム」というキーワードに注目が集まらず、ハイリスクなアイデアに金を出そうという人が集まらなかったら、そうした企業も日の目を見ずに終わっていた可能性が高い。そして大量の投資が集まったからこそ、コストのかかるインフラが構築でき、法規制などルールの整備も進んだと言えるだろう。
もし同じパターンがWeb3で繰り返されたとすると、熱狂的にもてはやされる時期が過ぎてから、2020年代の中頃に真の社会変革がもたらされるのかもしれない。果たしてどれが本物のイノベーションなのか、バズワードに流されるのではなく、個々のサービスやプラットフォームを精査することが求められている。
バブルか、真のイノベーションになるのかはここから数年にかかっているだろう。
小林 啓倫
経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。