ローマ教皇が回勅でAIに警鐘「新たなバベルの塔を建てるのか」

小林 啓倫

AISpecial

レオ14世の『マニフィカ・フマニタス』

2026年5月、世界14億人のカトリック信者の頂点に立つローマ教皇レオ14世が、就任後初めてとなる公式の重要文書で、意外なテーマを取り上げた。それは「AI(人工知能)」。文書のタイトルは『マニフィカ・フマニタス(壮大なる人間性)』で、副題は「人工知能の時代における人間の擁護について」となっている。

宗教界だけでなく、世界中のメディアやテクノロジー業界がこのニュースに注目した。なぜ、祈りと信仰の象徴であるローマ教皇が、AIというテクノロジーを語るのか。その理由を知ると、このニュースが私たちの暮らしと地続きであることが見えてくる。

教皇は冒頭でこう述べた。「神が創造された素晴らしき人類は、今日、決定的な岐路に立たされている。それは新たなバベルの塔を積み上げるか、あるいは、神と人類が共に暮らす国を築くかという選択である」。

「バベルの塔」とは、共通の言語を話していた人間が天まで届く塔を建てようとして神の怒りを買った結果、散り散りになってバラバラの言語を話すことになり、言葉が通じなくなったという旧約聖書の有名な逸話だ。つまりそこには「技術の力におごり、足元を踏み外すことがあってはならない」という警告が込められている。

「回勅」とは何か

今回の文書は「回勅(かいちょく)」と呼ばれる。聞き慣れない言葉だが、要するに教皇が世界中の信者や全ての人に向けて出す、公式の手紙のことだ。宗教の決まりごとだけでなく、戦争や貧困、環境問題といった「今、人類が直面している課題」についても、教会の考え方を示すために使われてきた。例えば前教皇フランシスコは2015年、地球環境の危機を訴える回勅『ラウダート・シ(あなたはたたえられますように)』を発表し、宗教の枠を超えて世界の気候変動論議に大きな影響を与えた。回勅にはそれだけの発信力がある。今回の回勅も、信者だけに向けた説教ではなく、AIと向き合う全ての人へのメッセージとして読むことができる。

文書のボリュームも異例だ。全体は序論と5つの章・結びからなり、段落数は245にのぼる。これは近年の回勅の中でもかなり長い部類で、教皇がこのテーマをいかに重く受け止めているかがうかがえる。

発表方法も異例だった。回勅の発表は枢機卿らに委ねるのが慣例だが、レオ14世は自ら発表の場に立った。回勅を教皇自身が発表したのは史上初のことだ。​

ちなみに「レオ14世」という名は、2025年に選出された際に教皇が自ら選んだものだ。歴代の教皇は就任時に名前を選ぶ慣習があり、どの名を継ぐかには本人の意志がにじむ。なぜ「レオ」だったのか──その答えは、この回勅が署名された日付に隠されている。

教皇が回勅に署名したのは、2026年5月15日。実はこの日は、今から135年前の1891年に、当時の教皇レオ13世が回勅『レールム・ノヴァルム(新しき事柄)』を発表した記念日にあたる。

『レールム・ノヴァルム』は、産業革命の真っただ中で書かれた。工場の機械化が進み、人びとの暮らしが激変し、労働者が長時間労働や低賃金で尊厳を奪われていた時代だ。その転換期に教会は「働く人の尊厳を守れ」と声をあげた。これが近代カトリックの社会的な教えの出発点になったといわれている。当時の人びとが機械に仕事を奪われる不安におびえたのと、今AIに仕事を脅かされると感じる私たちの不安は、地続きのものといえるだろう。だからこそ教皇は、135年前の知恵を現代に呼び戻そうとしていると考えられる。

現在のレオ14世が同じ「レオ」の名を選び、しかも同じ日付に新しい回勅を署名したのは明確なメッセージだ。「今のAIは、かつての産業革命と同じ、いやそれ以上の大変革期である」。教皇自身、AIは産業革命よりも「さらに大きな帰結」をもたらし得ると語っている

今、AIで、何が起きているのか

ここで少し、AIに関する状況を整理しておきたい。回勅の警告の重みは「今AIがどこまで来ているか」を知ってこそ実感できるからだ。ここ数年、生成AI技術が一気に広がった。代表格が、文章で対話できる「ChatGPT」のようなサービスだ。質問すれば人間のように自然な文章で答え、指示すれば絵や写真、さらには本物と見分けのつかない動画まで作り出す。今や仕事のメール作成から資料作り、翻訳、プログラミングまで、これまで人間がやっていた知的な作業を次々と肩代わりし始めている。スマホにもAIが当たり前のように組み込まれ、気付かないうちに私たちの日常に入り込んでいる。

便利になった一方で、不安の種も生まれている。1つは雇用への影響だ。事務職やデザイン、文章を書く仕事など、これまで「人間にしかできない」と思われていた領域までAIが踏み込み、自分の仕事が置き代わるのではないかという不安は、もはや一部の人だけのものではない。また、最先端のAIを開発できるのが世界でもごく一部の巨大IT企業に限られており、莫大な富と力がそこに集中していくことも懸念されている。さらに、本物そっくりの偽画像・偽動画(ディープフェイク)が選挙の妨害や詐欺に悪用される問題、そしてAIが兵器に組み込まれる「軍事利用」への不安もある。今回のレオ14世による回勅は、こうした現実を「技術主義のパラダイム(技術が全てを決めてよいとする考え方)」や「デジタルの力の偏り」という言葉で正面から取り上げている。つまり教皇は、空想や妄想などではなく、今現実に起きている問題を見据えているのだ。

回勅のメッセージ

では、回勅では具体的に何が訴えられたのか。長い文書の中から、特に私たちの生活に関わる部分を拾ってみよう。

第1に、AIは人間の代わりにはなれない、という指摘だ。回勅はこう書かれている。AIは「経験をせず、身体を持たず、喜びも痛みも感じず、人との関係を通じて成熟することもなく、愛や仕事、友情、責任が何であるかを内側から知ることはない」。どれだけ賢く受け答えても、AIは人間の知性を「真似ている」だけだ、という冷静な線引きである。

第2に、新たな「奴隷制」への警告である。スマホやAIに使われる希少な金属(レアアース)の採掘現場では、今も体を傷つけながら過酷に働く人びとがいる。回勅は、便利なテクノロジーの裏側でこうした搾取や人身売買が見えにくくなることを、現代の奴隷制になぞらえて厳しく戒めている。

第3に、子どもの保護だ。あまりに早い年齢でスマホを持ち、大人の見守りなく使うことは、依存や孤立、いじめ、そして私的な画像を共有するよう迫る圧力など、子どもの弱さを助長しかねないと回勅は指摘する。これは子育て世代にとって、特に身近な論点だろう。

第4に、真実と民主主義の危機である。AIは、本物と見分けのつかない文章や画像を、いくらでも大量に生み出せる。回勅の第4章では、AIの時代に「真実」をどう守るのか、そして人びとが正しい情報に基づいて判断する民主主義や、教育、人間の自由をいかに損なわずに保てるかが問われると論じている。嘘とも本当ともつかない情報が飛び交えば、私たちは何を信じてよいかわからなくなる。それは選挙や世論を通じて、社会の土台を静かに揺るがしていく。

そして第5に、戦争への利用だ。最終章では、AIによって戦争が「当たり前のこと」になっていく危うさと、力を奪い合う競争に警鐘が鳴らされている。誰を攻撃するか、生死に関わる判断を機械に委ねてはならない、というのが教皇の一貫した立場だ。便利さや効率の名のもとに、人間が本来手放してはいけない責任まで明け渡してしまわないか──回勅はそこを繰り返し問う。

警告だけではない。回勅は各国政府に対し、外部の倫理的・批判的視点を取り入れた厳格な国際規制づくりを求め、AIを軍事的・経済的な競争の論理から解き放つ「武装解除」を訴えている。時にAI導入のペースを落とすことも、進歩への反対ではなく「人類家族への責任ある配慮」だと教皇は明言する。
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小林 啓倫

経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。

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