「ここまでひどい例は見たことがない」ガバナンス不在の暗号取引所
そしてもうひとつのキーワードが、何を隠そう「ガバナンス」である。サム・バンクマン=フリードは暗号資産取引所FTXのほかにもいくつかの会社を立ち上げているのだが、本作品では主に、このFTXと暗号資産投資会社のアラメダ・リサーチ(2017年にバンクマン=フリードが立ち上げた企業で、ビットコインなどのトレーディングを手掛けていた)という2つの会社がどのように運営されていたかに焦点を当てている。そしてその実態は、まったくもって「ひどい」の一言だ。
例えば本書の終盤で、破綻したFTXの調査を任されたある人物が、同社について「私のキャリアの中で、ここまで企業統制が完全に失敗し、信用できる財務情報も完全に欠如している例は、これまで見たことがない」と評している。この人物は企業破綻に関する事後処理の案件を数多く手がけてきた人物なのだが、その彼に「ここまでひどい例は見たことがない」と言わしめるようなありさまだったのである。
しかしこの表現ですら、生ぬるいといえるかもしれない。なにしろFTXにもアラメダ・リサーチにも「組織図」が存在しなかったのである。誰が何部の部長で、その下にはどのくらいの部下がいて──などと教えてくれる、あの組織図だ。バンクマン=フリードはありとあらゆるガバナンスを嫌っており、組織図や肩書といったものまで組織運営には不要と判断。結局、初めての組織図を作ったのは社員ではなく、FTXに企業内セラピスト(心理カウンセラー)の立場で関わっていた人物だったほどだ。
そんなありさまだったため、当然ながら取締役会やCFOといった健全な企業運営に必要な仕組みや役割も機能しておらず(投資家などの外部に対する見映えを良くするために設置はされていたが、「設置しただけ」という状態だった)、バンクマン=フリードは「そんなものがなくても自分は組織を掌握しているし、カネがどこにあって、何に使われているか把握している」と考えていた。逆に、先ほどの効果的利他主義の考え方に従えば、「ガバナンスなんて無駄な行為に使うカネがあるなら、その分も寄付に回すべき」ということになる。こうして彼の築いた「仮想通貨帝国」は、大金を生み出す一方で、まったくガバナンスが効いていないという、ひどくでたらめな存在になっていたのだ。
例えば本書の終盤で、破綻したFTXの調査を任されたある人物が、同社について「私のキャリアの中で、ここまで企業統制が完全に失敗し、信用できる財務情報も完全に欠如している例は、これまで見たことがない」と評している。この人物は企業破綻に関する事後処理の案件を数多く手がけてきた人物なのだが、その彼に「ここまでひどい例は見たことがない」と言わしめるようなありさまだったのである。
しかしこの表現ですら、生ぬるいといえるかもしれない。なにしろFTXにもアラメダ・リサーチにも「組織図」が存在しなかったのである。誰が何部の部長で、その下にはどのくらいの部下がいて──などと教えてくれる、あの組織図だ。バンクマン=フリードはありとあらゆるガバナンスを嫌っており、組織図や肩書といったものまで組織運営には不要と判断。結局、初めての組織図を作ったのは社員ではなく、FTXに企業内セラピスト(心理カウンセラー)の立場で関わっていた人物だったほどだ。
そんなありさまだったため、当然ながら取締役会やCFOといった健全な企業運営に必要な仕組みや役割も機能しておらず(投資家などの外部に対する見映えを良くするために設置はされていたが、「設置しただけ」という状態だった)、バンクマン=フリードは「そんなものがなくても自分は組織を掌握しているし、カネがどこにあって、何に使われているか把握している」と考えていた。逆に、先ほどの効果的利他主義の考え方に従えば、「ガバナンスなんて無駄な行為に使うカネがあるなら、その分も寄付に回すべき」ということになる。こうして彼の築いた「仮想通貨帝国」は、大金を生み出す一方で、まったくガバナンスが効いていないという、ひどくでたらめな存在になっていたのだ。
彼は本当に1兆円を盗んだのか?
本書では、こうしたバンクマン=フリードにとってネガティブなエピソードが数多く描かれる一方で、彼に同情を示すような記述も見受けられる。また物語のクライマックスで、ルイスは一連の騒動における最も重要な疑問のひとつ「FTXから消えたとされるカネ(サム・バンクマン=フリードが詐欺行為によって盗んだのではないかという疑惑が持ち上がっていた)はどこに行ったのか?」を追求し、「カネは消えていなかった」という結論を下している。
なぜ消えていないカネが消えたように見え、バンクマン=フリードに疑いの目が向かうことになったのか。その原因も、ガバナンスの欠如にあった。詳しくは本書の解説をお読みいただければと思うが、簡単に言ってしまえば、彼はまるで自分のズボン(短パンにシャツというのが彼のおなじみのスタイルだった)のポケットに無造作にカネを突っ込んだり、またその中から適当にカネを取り出して使うような感覚で、巨額の資金を動かしていたのである。管理するのが数万円程度であれば、それでも問題はなかっただろう。しかし本書の表現を借りるなら「ベンチャーキャピタリストたちはサムが人類初の『兆ドル単位』の資産を持つ人間になると踏んでいた」ほど。そんな中でずさんな管理を行えば、カネの場所と使い道が把握できなくなり、カオスに陥るのは時間の問題だったと言わざるを得ない。
しかし原著が出版された後の2024年3月、一審の判決が下され、サム・バンクマン=フリードは詐欺と共謀に関する7つの罪で有罪となり、25年の実刑判決を受けた(ただし4月に彼の弁護士から控訴の申請が行われている)。要するに、彼は意図的に悪事を行ったと見なされたわけだ。裁判を担当したルイス・カプラン判事は、彼が「恐ろしい犯罪に手を染めたことを一言も反省していない」と述べている。その結果、米国の世論の中には、ルイスがバンクマン=フリードに見せた同情的な姿勢を批判し、彼が取材対象に近づき過ぎてしまったのではないかと疑問視する声もあげられている。それが冒頭で述べた「賛否両論」の背景だ。
ただ本書でも解説されているように、こうした反応は米国において、一連の事件やバンクマン=フリードの人物像に関する報道がセンセーショナルな形で行われたことが影響しているのだろう。その意味で、幸か不幸かこの一件があまり報じられてこなかった日本でこそ、本書の冷静な評価が可能なのではないだろうか。バンクマン=フリードは本当に悪者だったのか、ルイスの下した判断をどう捉えるか、ぜひ皆さん自身で考えてみていただきたい。
なぜ消えていないカネが消えたように見え、バンクマン=フリードに疑いの目が向かうことになったのか。その原因も、ガバナンスの欠如にあった。詳しくは本書の解説をお読みいただければと思うが、簡単に言ってしまえば、彼はまるで自分のズボン(短パンにシャツというのが彼のおなじみのスタイルだった)のポケットに無造作にカネを突っ込んだり、またその中から適当にカネを取り出して使うような感覚で、巨額の資金を動かしていたのである。管理するのが数万円程度であれば、それでも問題はなかっただろう。しかし本書の表現を借りるなら「ベンチャーキャピタリストたちはサムが人類初の『兆ドル単位』の資産を持つ人間になると踏んでいた」ほど。そんな中でずさんな管理を行えば、カネの場所と使い道が把握できなくなり、カオスに陥るのは時間の問題だったと言わざるを得ない。
しかし原著が出版された後の2024年3月、一審の判決が下され、サム・バンクマン=フリードは詐欺と共謀に関する7つの罪で有罪となり、25年の実刑判決を受けた(ただし4月に彼の弁護士から控訴の申請が行われている)。要するに、彼は意図的に悪事を行ったと見なされたわけだ。裁判を担当したルイス・カプラン判事は、彼が「恐ろしい犯罪に手を染めたことを一言も反省していない」と述べている。その結果、米国の世論の中には、ルイスがバンクマン=フリードに見せた同情的な姿勢を批判し、彼が取材対象に近づき過ぎてしまったのではないかと疑問視する声もあげられている。それが冒頭で述べた「賛否両論」の背景だ。
ただ本書でも解説されているように、こうした反応は米国において、一連の事件やバンクマン=フリードの人物像に関する報道がセンセーショナルな形で行われたことが影響しているのだろう。その意味で、幸か不幸かこの一件があまり報じられてこなかった日本でこそ、本書の冷静な評価が可能なのではないだろうか。バンクマン=フリードは本当に悪者だったのか、ルイスの下した判断をどう捉えるか、ぜひ皆さん自身で考えてみていただきたい。
小林 啓倫
経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。