原作付きの実写化は難しいといわれる中、原作の魅力を理解した上で映像ならではの表現を加え、時には原作を超える感動を生み出した作品たちがある。構成の再編集、キャスティングの妙、映像技術の活用など、さまざまなアプローチで原作の良さを映像に昇華させた9作品をご紹介。原作ファンも納得の、映像化成功の秘密に迫る。
何度も見たい!大改変も納得の傑作「正体」

正体
https://www.netflix.com/jp/title/81709654
原作の改変、特に結末の変更は批判されがちだ。その常識を覆す快挙を成し遂げたのが、横浜流星主演の映画「正体」だ。
原作は染井為人の同名小説。
一家3人を惨殺したとして死刑宣告を受けた鏑木慶一が移送中に脱走する。顔を変え、名前と身分を偽り、さまざまな場所に潜伏する鏑木と日本各地で出会った沙耶香、和也、舞。鏑木を追う刑事の又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれの語る鏑木は全く別人のような姿だった。間一髪の逃走劇を繰り返す343日間。鏑木の正体とは?
原作は鏑木の視点による文章ではなく、潜伏先の人々が語り手となって物語は進む。そのため各々が語る「まるで別人のような」鏑木をすんなり受け入れることができるのだが、映像となるとそのハードルが一気に上がる。どこにいても人目を引く横浜流星のあの美しい外見は、逃亡劇のノイズになるのでは?と思っていた。しかし、その演技力が心配を払拭してくれた。話し方や表情はもちろん、身のこなしやたたずまいまでが本当に別人のようなのだ。
左利きという設定の鏑木に合わせ、右利きの横浜流星が「人前では右利き、独りの時は本来の左利き」という細かい演技をしていることに気づいたときは本当に驚いた。また歩幅やリズム、腕の振り方といった歩き方から、数歩で個人の特定が可能とされる「歩容認証」という技術があるのだが、この鏑木ならそれもかいくぐることができるかもしれないとも思う。原作に感じた「そもそもの話、各所で働きながら1年近くも逃げ続けることは可能なのか?」という疑問をねじ伏せる説得力を”鏑木”に与えている。
一方で、顔や名前、身のこなしを変えても滲み出る鏑木の人柄には一貫したものがあり、彼の内面を知るたびに周囲の人や読者の中で「鏑木は本当に凶悪犯なのだろうか?」という疑いが大きくなっていく……という点が物語の大きなカギ。鏑木が演じる”ベンゾー”が、”和也”との距離が近づくたびに前傾姿勢を正していく様子、紗耶香と初めて食べた焼き鳥に”那須”が瞳を輝かせる様子などからうかがえる素の鏑木のまっすぐな魅力に触れるたびに「ではなぜ逃亡犯に?」という疑問がわく。
今度こそ捕まるのか?逃げられるのか? 本当にやっている?やっていない? 原作を先に読んでいても最後まで予想がつかない展開を、映像で追うだけでも十分に楽しめる。が、2回、3回と重ねて観ると、演技はもちろん、演出や美術面も含め、積み重ねられたディテールの細やかさに驚かされる。この細やかさこそが、原作と大きく結末を変えながらも物語の根幹にあるメッセージを損なわなかった理由ではないだろうか。
原作の改変、特に結末の変更は批判されがちだ。その常識を覆す快挙を成し遂げたのが、横浜流星主演の映画「正体」だ。
原作は染井為人の同名小説。
一家3人を惨殺したとして死刑宣告を受けた鏑木慶一が移送中に脱走する。顔を変え、名前と身分を偽り、さまざまな場所に潜伏する鏑木と日本各地で出会った沙耶香、和也、舞。鏑木を追う刑事の又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれの語る鏑木は全く別人のような姿だった。間一髪の逃走劇を繰り返す343日間。鏑木の正体とは?
原作は鏑木の視点による文章ではなく、潜伏先の人々が語り手となって物語は進む。そのため各々が語る「まるで別人のような」鏑木をすんなり受け入れることができるのだが、映像となるとそのハードルが一気に上がる。どこにいても人目を引く横浜流星のあの美しい外見は、逃亡劇のノイズになるのでは?と思っていた。しかし、その演技力が心配を払拭してくれた。話し方や表情はもちろん、身のこなしやたたずまいまでが本当に別人のようなのだ。
左利きという設定の鏑木に合わせ、右利きの横浜流星が「人前では右利き、独りの時は本来の左利き」という細かい演技をしていることに気づいたときは本当に驚いた。また歩幅やリズム、腕の振り方といった歩き方から、数歩で個人の特定が可能とされる「歩容認証」という技術があるのだが、この鏑木ならそれもかいくぐることができるかもしれないとも思う。原作に感じた「そもそもの話、各所で働きながら1年近くも逃げ続けることは可能なのか?」という疑問をねじ伏せる説得力を”鏑木”に与えている。
一方で、顔や名前、身のこなしを変えても滲み出る鏑木の人柄には一貫したものがあり、彼の内面を知るたびに周囲の人や読者の中で「鏑木は本当に凶悪犯なのだろうか?」という疑いが大きくなっていく……という点が物語の大きなカギ。鏑木が演じる”ベンゾー”が、”和也”との距離が近づくたびに前傾姿勢を正していく様子、紗耶香と初めて食べた焼き鳥に”那須”が瞳を輝かせる様子などからうかがえる素の鏑木のまっすぐな魅力に触れるたびに「ではなぜ逃亡犯に?」という疑問がわく。
今度こそ捕まるのか?逃げられるのか? 本当にやっている?やっていない? 原作を先に読んでいても最後まで予想がつかない展開を、映像で追うだけでも十分に楽しめる。が、2回、3回と重ねて観ると、演技はもちろん、演出や美術面も含め、積み重ねられたディテールの細やかさに驚かされる。この細やかさこそが、原作と大きく結末を変えながらも物語の根幹にあるメッセージを損なわなかった理由ではないだろうか。
ミステリーファンには有名な「あの一行」を成立させた驚きの挑戦「十角館の殺人」

十角館の殺人
https://www.hulu.jp/jukkakukannosatsujin
長らく「映像化不可能」と言われ続けてきた、綾辻行人による本格推理小説の金字塔「十角館の殺人」。これを配信ドラマならではの挑戦で成立させたのがhuluドラマ「十角館の殺人」だ。
九州地方の海に浮かぶ孤島・角島。ここに十角館を建てた天才建築家・中村青司は、本館の青屋敷で謎の死を遂げていた。
半年後、無人島と化していた角島を大学ミステリ研究会の男女7人が合宿で訪れる。再び船が来る1週間後まで滞在する予定だ。しかし3日目の朝、メンバーの1人が他殺体で見つかる。島には自分たちしかいないはず……。疑心暗鬼になるメンバーたち。
同じころ、本土ではかつてのミス研メンバー・江南孝明のもとに死んだはずの中村青司から1通の手紙が届いていた。ほかのメンバーにも手紙は届いているらしい。調査を進めるなか、江南は島田潔という男と出会い、行動を共にする。2つの物語から起こる想像を超えた衝撃の結末とは。
……というあらすじだけでも、実写化は相当にハードルが高い、ということがわかるだろうか。主役級のキャストを投入すれば「重要人物に違いない」と察しがつくが、原作ファンなら誰もが知る「あの一行」の実現には、キャスト陣の演技力は欠かせない。そして本作の舞台は1980年代。スマホもパソコンもメールもないし、大学生たちは男女問わず喫煙者だらけ。こうした時代背景を改変してしまうと、いろいろ成り立たなくなる部分があるのだが、地上波では難しいだろう。
そんなこんなを一気に解決するのが「配信ドラマ」というスタイルだ。無理に2時間枠に納めなくてもいいし、エピソードをかさましして1クールのドラマに仕立てなくてもいい。ギリギリまでキャストを発表しなくてもむしろ興味をそそるし、配役だって隠しておいてもいい。キャストに忖度して原作にない見せ場を作らなくてもいい。
そんな自由度の高さが「叙述トリック」を映像で表現するという最大の挑戦を成功させた。原作は章によって語り手が変わり、犯人による語りもある。犯人の内面を読んでいるはずなのに犯人が誰かわからない……。この楽しさを映像で表現できるとは思わなかった。
細かいことは言えないが、「あの一行」は映像でも見事に「あの一行」だった。「来るぞ、来るぞ」と待ち受けていても驚くので、これから原作未読のままドラマを見る人がとても羨ましい。
長らく「映像化不可能」と言われ続けてきた、綾辻行人による本格推理小説の金字塔「十角館の殺人」。これを配信ドラマならではの挑戦で成立させたのがhuluドラマ「十角館の殺人」だ。
九州地方の海に浮かぶ孤島・角島。ここに十角館を建てた天才建築家・中村青司は、本館の青屋敷で謎の死を遂げていた。
半年後、無人島と化していた角島を大学ミステリ研究会の男女7人が合宿で訪れる。再び船が来る1週間後まで滞在する予定だ。しかし3日目の朝、メンバーの1人が他殺体で見つかる。島には自分たちしかいないはず……。疑心暗鬼になるメンバーたち。
同じころ、本土ではかつてのミス研メンバー・江南孝明のもとに死んだはずの中村青司から1通の手紙が届いていた。ほかのメンバーにも手紙は届いているらしい。調査を進めるなか、江南は島田潔という男と出会い、行動を共にする。2つの物語から起こる想像を超えた衝撃の結末とは。
……というあらすじだけでも、実写化は相当にハードルが高い、ということがわかるだろうか。主役級のキャストを投入すれば「重要人物に違いない」と察しがつくが、原作ファンなら誰もが知る「あの一行」の実現には、キャスト陣の演技力は欠かせない。そして本作の舞台は1980年代。スマホもパソコンもメールもないし、大学生たちは男女問わず喫煙者だらけ。こうした時代背景を改変してしまうと、いろいろ成り立たなくなる部分があるのだが、地上波では難しいだろう。
そんなこんなを一気に解決するのが「配信ドラマ」というスタイルだ。無理に2時間枠に納めなくてもいいし、エピソードをかさましして1クールのドラマに仕立てなくてもいい。ギリギリまでキャストを発表しなくてもむしろ興味をそそるし、配役だって隠しておいてもいい。キャストに忖度して原作にない見せ場を作らなくてもいい。
そんな自由度の高さが「叙述トリック」を映像で表現するという最大の挑戦を成功させた。原作は章によって語り手が変わり、犯人による語りもある。犯人の内面を読んでいるはずなのに犯人が誰かわからない……。この楽しさを映像で表現できるとは思わなかった。
細かいことは言えないが、「あの一行」は映像でも見事に「あの一行」だった。「来るぞ、来るぞ」と待ち受けていても驚くので、これから原作未読のままドラマを見る人がとても羨ましい。
正直別モノ……だけどなぜか大満足の「来る」

来る
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FKLC38RP (Amazon Prime Video)
https://www.video.unext.jp/title/SID0056371 (U-NEXT)
原作と全く違う形にアレンジされているのに、原作ファンも楽しめるというレアケースが「来る」だ。
原作は澤村伊智「ぼぎわんが、来る」。
田原秀樹は恋人の香奈と結婚し、第一子・知紗を授かる。喜びの中、妻と子を大切にしようと誓う秀樹の身の回りで原因不明の怪奇現象が起こりだす。なぜ自分たちが狙われるのか戸惑う秀樹だが、実はひとつだけ心当たりがあった。それは秀樹の地元に伝わる「ぼぎわん」という名の妖怪で……。
というのが映画、原作に共通する物語の序盤だ。「訪問者」「所有者」「部外者」と語り手を変えながら、各人の証言が食い違って真相がわからない”藪の中”スタイルで進行する原作は、単行本刊行当時に「2ちゃんねる(当時)の家庭板のようなホラー小説」と話題になった。ホラーとしても章が変わるごとに隠れていた事実が明らかになるミステリーとしても楽しめる完成度の高い一作だ。
原作の民俗学ホラーやヒトコワ(本当に怖いのは心霊よりも人間)感、章が変わるごとに明らかになる狂気の描写は「人間の怖いところを知り尽くしているな」と感じる。個人的ハイライトは「新幹線のトイレ」だ。
映画版は、藪の中スタイルをゆるく踏襲しつつ、湿度の高い怖さから始まり、ド派手ホラーに仕上がっている。原作にあったジメジメとした悪意の描写はやや控えめで、後半の除霊シーンが見せ場になっている。しかし妻夫木聡演じる”秀樹”のサイコパスぶり、またその母のナチュラルな嫌味ぶりは「呼ばな来ぉへん」はずの「えらいもん」を引き寄せる「悪いスキマ」になりうる説得力がものすごい。無自覚な嫌味の表現に思わずイライラしてしまう演技が親子そろって素晴らしい。
そんな中、映画版で一番怖いのは「盛り塩を踏みつける香奈(黒木華)の笑顔」だろうか。本作の大人はみな弱くてどうしようもないのだが、それが一番怖いし、子どもが泣くたびに胸が締め付けられる。
そんなジメジメ感を吹き飛ばす最大の変更が除霊師の描写だ。原作では個別に呼ばれながらも退散する除霊師たちを、映画では全国から一堂に集結させた。禅僧、神官、沖縄のユタ、韓国のムーダンまで、宗教の壁を越えて共闘するスペクタクルへと展開する。
物語として面白いのは圧倒的に原作なのだが、なぜか改変山盛りの映画版も楽しく見ることができる。それはそれぞれが「読む楽しさ」「観る楽しさ」に潔く振り切っているから……かもしれない。全く別の面白さを味わえるので、原作・映画、どっちも見てみてほしい。
https://www.video.unext.jp/title/SID0056371 (U-NEXT)
原作と全く違う形にアレンジされているのに、原作ファンも楽しめるというレアケースが「来る」だ。
原作は澤村伊智「ぼぎわんが、来る」。
田原秀樹は恋人の香奈と結婚し、第一子・知紗を授かる。喜びの中、妻と子を大切にしようと誓う秀樹の身の回りで原因不明の怪奇現象が起こりだす。なぜ自分たちが狙われるのか戸惑う秀樹だが、実はひとつだけ心当たりがあった。それは秀樹の地元に伝わる「ぼぎわん」という名の妖怪で……。
というのが映画、原作に共通する物語の序盤だ。「訪問者」「所有者」「部外者」と語り手を変えながら、各人の証言が食い違って真相がわからない”藪の中”スタイルで進行する原作は、単行本刊行当時に「2ちゃんねる(当時)の家庭板のようなホラー小説」と話題になった。ホラーとしても章が変わるごとに隠れていた事実が明らかになるミステリーとしても楽しめる完成度の高い一作だ。
原作の民俗学ホラーやヒトコワ(本当に怖いのは心霊よりも人間)感、章が変わるごとに明らかになる狂気の描写は「人間の怖いところを知り尽くしているな」と感じる。個人的ハイライトは「新幹線のトイレ」だ。
映画版は、藪の中スタイルをゆるく踏襲しつつ、湿度の高い怖さから始まり、ド派手ホラーに仕上がっている。原作にあったジメジメとした悪意の描写はやや控えめで、後半の除霊シーンが見せ場になっている。しかし妻夫木聡演じる”秀樹”のサイコパスぶり、またその母のナチュラルな嫌味ぶりは「呼ばな来ぉへん」はずの「えらいもん」を引き寄せる「悪いスキマ」になりうる説得力がものすごい。無自覚な嫌味の表現に思わずイライラしてしまう演技が親子そろって素晴らしい。
そんな中、映画版で一番怖いのは「盛り塩を踏みつける香奈(黒木華)の笑顔」だろうか。本作の大人はみな弱くてどうしようもないのだが、それが一番怖いし、子どもが泣くたびに胸が締め付けられる。
そんなジメジメ感を吹き飛ばす最大の変更が除霊師の描写だ。原作では個別に呼ばれながらも退散する除霊師たちを、映画では全国から一堂に集結させた。禅僧、神官、沖縄のユタ、韓国のムーダンまで、宗教の壁を越えて共闘するスペクタクルへと展開する。
物語として面白いのは圧倒的に原作なのだが、なぜか改変山盛りの映画版も楽しく見ることができる。それはそれぞれが「読む楽しさ」「観る楽しさ」に潔く振り切っているから……かもしれない。全く別の面白さを味わえるので、原作・映画、どっちも見てみてほしい。
テーマを絞り込んだ実写化成功例「月の満ち欠け」

月の満ち欠け
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CBNWC97S (Amazon Prime Video)
https://www.hulu.jp/phases-of-the-moon (Hulu)
https://www.netflix.com/jp/title/81716518 (Netflix)
https://video.unext.jp/title/SID0091222 (U-NEXT)
確かに面白いんだけど、どういう受け止め方をしていいかよくわからない。友達と感想を話し合ってみても、意見が分かれる。でも間違いなく面白い……。そんな作品がまれにある。その1つが佐藤正午の「月の満ち欠け」だ。”瑠璃”という美しい女性と、それに関わる人々の物語である。
小説も、映画も、物語はホテルのカフェから始まる。妻と子を事故で亡くした男性”小山内”の前には母と子が座っている。娘は”るり”という7歳の少女だが、まるで大人の女のような振る舞いだ。小山内は”るり”を知らないようだが、”るり”は小山内のことをよく知っているようだ……。
「ん?」と思いながらも読み進めていくと、徐々に話がつながってくる。それが持ち味なのでネタバレは避けたいが、「岩波文庫的 月の満ち欠け」の表紙にも「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる――」とあらすじが紹介されているのでこれだけ書く。これは”瑠璃”の生まれ変わりの物語なのだ。
輪廻転生というテーマは嫌いじゃないけど、面白いんだけど、でもなんだか怖いなあ、というのが原作を読んだ感想だ。この「面白いんだけどなんだか怖い」のは、「鳩の撃退法」「身の上話」など、ほかの佐藤正午作品にも共通する持ち味なのでそれはいい。でも、映画になるとどうだろうか……。
と思っていたら、映画版は「純愛」に特化した仕上がりになっていた。構成が整理され、大泉洋、有村架純、目黒蓮、柴咲コウをはじめとするキャストが時を超えた愛を繊細に演じるラブストーリーに没頭できる。
原作では「あまりに瑠璃の魂(というか我)が強すぎないか……?」と感じた。映画ではそれに対する瑠璃本人の苦悩がきちんと描かれるなど、自然と瑠璃を応援したくなるような道筋があった。目黒蓮と有村架純の秘密の恋の美しい回想シーンもいい。「気持ちの持って行きどころ」がバシッと定まっているので、感情移入しやすい物語になっている。
とはいえ、ここからそぎ落とされた「面白いけど、なんか怖い」も、原作でぜひ味わってみてほしい。
https://www.hulu.jp/phases-of-the-moon (Hulu)
https://www.netflix.com/jp/title/81716518 (Netflix)
https://video.unext.jp/title/SID0091222 (U-NEXT)
確かに面白いんだけど、どういう受け止め方をしていいかよくわからない。友達と感想を話し合ってみても、意見が分かれる。でも間違いなく面白い……。そんな作品がまれにある。その1つが佐藤正午の「月の満ち欠け」だ。”瑠璃”という美しい女性と、それに関わる人々の物語である。
小説も、映画も、物語はホテルのカフェから始まる。妻と子を事故で亡くした男性”小山内”の前には母と子が座っている。娘は”るり”という7歳の少女だが、まるで大人の女のような振る舞いだ。小山内は”るり”を知らないようだが、”るり”は小山内のことをよく知っているようだ……。
「ん?」と思いながらも読み進めていくと、徐々に話がつながってくる。それが持ち味なのでネタバレは避けたいが、「岩波文庫的 月の満ち欠け」の表紙にも「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる――」とあらすじが紹介されているのでこれだけ書く。これは”瑠璃”の生まれ変わりの物語なのだ。
輪廻転生というテーマは嫌いじゃないけど、面白いんだけど、でもなんだか怖いなあ、というのが原作を読んだ感想だ。この「面白いんだけどなんだか怖い」のは、「鳩の撃退法」「身の上話」など、ほかの佐藤正午作品にも共通する持ち味なのでそれはいい。でも、映画になるとどうだろうか……。
と思っていたら、映画版は「純愛」に特化した仕上がりになっていた。構成が整理され、大泉洋、有村架純、目黒蓮、柴咲コウをはじめとするキャストが時を超えた愛を繊細に演じるラブストーリーに没頭できる。
原作では「あまりに瑠璃の魂(というか我)が強すぎないか……?」と感じた。映画ではそれに対する瑠璃本人の苦悩がきちんと描かれるなど、自然と瑠璃を応援したくなるような道筋があった。目黒蓮と有村架純の秘密の恋の美しい回想シーンもいい。「気持ちの持って行きどころ」がバシッと定まっているので、感情移入しやすい物語になっている。
とはいえ、ここからそぎ落とされた「面白いけど、なんか怖い」も、原作でぜひ味わってみてほしい。

中野 亜希
ライター・コラムニスト
大学卒業後、ブログをきっかけにライターに。会社員として勤務する傍らブックレビューや美容コラム、各種ガジェットに関する記事執筆は2000本以上。趣味は読書、料理、美容、写真撮影など。
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