人生の一大イベント、大学入試の舞台裏で初めて試験監督を務めることになった私。教室の風景をただ静かに見守るだけと思っていた試験監督の仕事は、実に多様な発見に満ちていた。
大学入学共通テストというまさに決戦の日の内側から見えた光景を、こっそりとお届けする前後編。事前準備の綿密さに驚き、捜査官のような試験官の仕事に緊張しまくった前編に続き、後編では、人生を左右するかもしれない受験会場だからこそ見られたのであろう、特別な人間ドラマの数々をお伝えしたい。
大学入学共通テストというまさに決戦の日の内側から見えた光景を、こっそりとお届けする前後編。事前準備の綿密さに驚き、捜査官のような試験官の仕事に緊張しまくった前編に続き、後編では、人生を左右するかもしれない受験会場だからこそ見られたのであろう、特別な人間ドラマの数々をお伝えしたい。
慣れてくると見えてきた、入試はヒューマンドラマの宝庫だ
共通テスト1日目の午後、ド緊張の午前中を経験した私の目に映る風景が少しずつ変わってきた。地理歴史、国語と続き、昼食休憩を挟んで英語のテスト。あれ? 午前中から気になっていた、何かと突っ伏して寝る工業高校の男子生徒の姿がない。どうやら昼食の後、潔く諦めて帰ってしまったようだ。写真票では金髪だった(おそらく撮影時期は夏)のに当日は黒髪に染め直していたのは、彼なりのケジメだったんだろうと思う。解いている様子を眺めていると、わりと面白そうな子だったんだけどな。一抹の寂しさを感じる。
だが午後はいくらか慣れてきて、私の心にも周りを見渡す余裕が生まれた。科目ごとに写真照合をしたり、問題冊子と解答用紙を配布回収したりしていると、一人ひとりの名前や在籍校を覚え始めてくる。机間巡視をしながら、もちろん不審な動きがないか、あるいはこちらが配慮すべきことが起こっていないかにも目を光らせるけれど、机上に置かれた受験票と照合しながら、所属する学校と顔つきの賢さや名前のキラキラ度、集中度、解答スピードの速さなどの相関関係をこっそり観察していた。「よくぞ名付けちゃいましたね、ご両親!」と感心するほどのキラキラネームはなくて、やはりあれだけ世間でやんや言われたから最近は落ち着いてきたようだ、と思う。
教壇と教室4隅には試験監督用の椅子が配置されている。いつの間にか教員の各々が自分の「テリトリー」を確保していく不思議な現象。もちろん明確に決める必要はないのだが、教員全員が立ち上がってウロウロ歩き回るのは受験生の気が散るだろうから、他の先生が座った頃を見計らって「そろそろ自分のターンだ」と判断して立ち上がる。驚くべきことに、これが全く打ち合わせなしで成立する暗黙のルール。静寂を保ったまま集団で試験監督ができるのは、さすが「空気を読む」ニンジャの国、ニッポンならではかもしれない。
試験中、時折学生から手が挙がる。「トイレに行っていいですか」「先生、鼻が垂れたんですけど、かんでいいですか」(ぜひ早くかんでください)、「暑いです」「寒いです」「換気扇の風が当たって気になります」。特にエアコンに関する要望は厄介だ。教室内での温度調整やスイッチオフに制限がかかっている教室もあり、入試本部へ伝令を送って返事が来るのを待ち、本部の方で対応してもらうという大掛かりな手順を踏まなければならない。
いつしか私は試験の進行を見守りながら、教室という小宇宙で繰り広げられるさまざまな人間模様に魅了されていた。緊張と希望と諦めが入り混じる表情、ため息、苛立ち、静寂の中に響く鉛筆や紙の擦れる音、試験官たちのテレパシーに導かれたような動き。入試という非日常的な空間には、すでに人間ドラマの宝庫が広がっていたのだ。
だが午後はいくらか慣れてきて、私の心にも周りを見渡す余裕が生まれた。科目ごとに写真照合をしたり、問題冊子と解答用紙を配布回収したりしていると、一人ひとりの名前や在籍校を覚え始めてくる。机間巡視をしながら、もちろん不審な動きがないか、あるいはこちらが配慮すべきことが起こっていないかにも目を光らせるけれど、机上に置かれた受験票と照合しながら、所属する学校と顔つきの賢さや名前のキラキラ度、集中度、解答スピードの速さなどの相関関係をこっそり観察していた。「よくぞ名付けちゃいましたね、ご両親!」と感心するほどのキラキラネームはなくて、やはりあれだけ世間でやんや言われたから最近は落ち着いてきたようだ、と思う。
教壇と教室4隅には試験監督用の椅子が配置されている。いつの間にか教員の各々が自分の「テリトリー」を確保していく不思議な現象。もちろん明確に決める必要はないのだが、教員全員が立ち上がってウロウロ歩き回るのは受験生の気が散るだろうから、他の先生が座った頃を見計らって「そろそろ自分のターンだ」と判断して立ち上がる。驚くべきことに、これが全く打ち合わせなしで成立する暗黙のルール。静寂を保ったまま集団で試験監督ができるのは、さすが「空気を読む」ニンジャの国、ニッポンならではかもしれない。
試験中、時折学生から手が挙がる。「トイレに行っていいですか」「先生、鼻が垂れたんですけど、かんでいいですか」(ぜひ早くかんでください)、「暑いです」「寒いです」「換気扇の風が当たって気になります」。特にエアコンに関する要望は厄介だ。教室内での温度調整やスイッチオフに制限がかかっている教室もあり、入試本部へ伝令を送って返事が来るのを待ち、本部の方で対応してもらうという大掛かりな手順を踏まなければならない。
いつしか私は試験の進行を見守りながら、教室という小宇宙で繰り広げられるさまざまな人間模様に魅了されていた。緊張と希望と諦めが入り混じる表情、ため息、苛立ち、静寂の中に響く鉛筆や紙の擦れる音、試験官たちのテレパシーに導かれたような動き。入試という非日常的な空間には、すでに人間ドラマの宝庫が広がっていたのだ。
象牙の塔の住人たちが頭を突き合わせて悩んだ「隣の人の貧乏ゆすりが気になって集中できない」問題
共通テスト監督中、思わぬトラブルに遭遇した。試験開始前、1人の学生A君がそっと近づいてきて小声で訴えてきたのだ。「隣の人の貧乏ゆすりが気になって集中できません」。私は「わかりました。様子を見て、ひどいようなら対応します」と返したものの、「他人の集中が削がれるほどの貧乏ゆすりってどんな激しさなんだろう」と、内心困惑していた。
早速、我々教員陣は問題の学生B君を注意深く観察することにした。確かに彼は、1時間に何度か足を小刻みに揺らす癖があるようだ。考え込む時に無意識にゆする傾向はあるが、大きな音を立てるわけでもなくむしろ無音、しかも少し経てば止まり、延々と続くわけでもない。ううむ、これは注意すべき「案件」だろうか。
静寂の中で試験は進む。教員同士で小声の相談会が始まった。「やめろと注意するほどのことでしょうか」「周囲の、他の受験生からは特に苦情はないわけだし」「B君が自分のスタイルで考える権利もあるのではないか」という意見が出る一方で、「しかし気になって集中できないというA君の訴えに何らの対応もしないわけにはいかない」との声も。対応に悩んでいた矢先、休憩時間に再び学生A君がやってきて「やっぱり気になります、何か対応してください」と切実な様子。いよいよ象牙の塔の住人たちは板挟み状態に陥る。
そこで我々を救ってくれたのは、さすがのベテラン教授だった。彼は何事もなかったかのように学生B君のそばへ行き、彼が揺する足をさりげなく指し、「寒くないですか?」と小声で尋ねたのである。これは表面上、単に寒さを気遣う言葉のようでいて、実は「あなたの貧乏ゆすりが周りから見えていて、他人が気にしている」ことを暗に意識させる絶妙な一言だった。
その後、B君の足の揺れは収まり、A君からの再度の訴えもなく、試験は無事に終了した。直接的な注意も厳しい指摘もなく、穏やかに問題を解決させる教授の玄人技には、心の中で思わず拍手したくなった。さすが各時代の「若者」を相手に教鞭をとってきた、人生の師!
入試現場で繰り広げられる、こうした小さな人間ドラマと教員の機転が、試験監督の醍醐味でもある。
早速、我々教員陣は問題の学生B君を注意深く観察することにした。確かに彼は、1時間に何度か足を小刻みに揺らす癖があるようだ。考え込む時に無意識にゆする傾向はあるが、大きな音を立てるわけでもなくむしろ無音、しかも少し経てば止まり、延々と続くわけでもない。ううむ、これは注意すべき「案件」だろうか。
静寂の中で試験は進む。教員同士で小声の相談会が始まった。「やめろと注意するほどのことでしょうか」「周囲の、他の受験生からは特に苦情はないわけだし」「B君が自分のスタイルで考える権利もあるのではないか」という意見が出る一方で、「しかし気になって集中できないというA君の訴えに何らの対応もしないわけにはいかない」との声も。対応に悩んでいた矢先、休憩時間に再び学生A君がやってきて「やっぱり気になります、何か対応してください」と切実な様子。いよいよ象牙の塔の住人たちは板挟み状態に陥る。
そこで我々を救ってくれたのは、さすがのベテラン教授だった。彼は何事もなかったかのように学生B君のそばへ行き、彼が揺する足をさりげなく指し、「寒くないですか?」と小声で尋ねたのである。これは表面上、単に寒さを気遣う言葉のようでいて、実は「あなたの貧乏ゆすりが周りから見えていて、他人が気にしている」ことを暗に意識させる絶妙な一言だった。
その後、B君の足の揺れは収まり、A君からの再度の訴えもなく、試験は無事に終了した。直接的な注意も厳しい指摘もなく、穏やかに問題を解決させる教授の玄人技には、心の中で思わず拍手したくなった。さすが各時代の「若者」を相手に教鞭をとってきた、人生の師!
入試現場で繰り広げられる、こうした小さな人間ドラマと教員の機転が、試験監督の醍醐味でもある。

河崎 環
コラムニスト・立教大学社会学部兼任講師
1973年京都生まれ神奈川育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野で記事・コラム連載執筆を続ける。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、政府広報誌などに多数寄稿。ワイドショーなどのコメンテーターも務める。2022年よりTOKYO MX番組審議会委員。社会人女子と高校生男子の母。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)など。