2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。おなじみ戦国時代を舞台にしながら、豊臣秀吉(演:池松壮亮さん)の弟・秀長(演:仲野太賀さん)の視点から物語を描くという、新しい試みとなっている。
秀長は、天下人・秀吉の陰に隠れがちな存在だが、「彼なしでは秀吉は天下を取れなかっただろう」と評されるほどの人物だ。ドラマで描かれる秀長の姿を手がかりに、史料などを踏まえながら、彼がどのような選択を重ねていったのかを考えてみたい。
今回取り上げるのは、戦国武将・藤堂高虎(演:佳久創さん)だ。
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主君を何度も替えた男を、秀長はどう魅了したのか?(筆者がChatGPTで生成)
主君を何度も替えた男、藤堂高虎
藤堂高虎という武将の名を聞いて、歴史好きな方が思い浮かべることのひとつは「主君を何度も替えた男」という評価ではないだろうか。浅井長政(演:中島歩さん)、阿閉貞征、磯野員昌、織田信澄、羽柴秀長、羽柴秀保、豊臣秀吉、徳川家康(演:松下洸平さん)──主な主君は8人、数え方によっては10人を超えるという。戦国期の武士の美徳とされた「一所懸命」の対極にある生き方だ。
しかしこうした彼の「キャリア」の中で、1つだけ例外がある。豊臣秀長に仕えた時代だ。秀長が没し、後を継いだ秀保も17歳で早世して大和豊臣家が断絶したとき、高虎は高野山に登って出家した。40歳を前に、武士としての一切を捨てようとしたのだ。豊臣秀吉自身が「あれほどの武士を失うのは惜しい」と強く説得して、ようやく山を下りた。
何度も主君を替えた男が、たった一度だけ、主君のために俗世を捨てようとした──。この意外な行動を生んだ起点に、1576年(天正4年)の出会いがある。当時、秀長37歳、藤堂高虎21歳。北近江・長浜の地(現在の滋賀県北部)で行われた交渉が、その後四半世紀にわたる主従関係を生み、やがて伊勢津32万石の大名・藤堂高虎を生んだ。
ビジネスの文脈に置き換えて考えてみると、これは「転職を繰り返してきたハイパフォーマーを、どう引き留め、どう育て、どう活躍させるか」という極めて現代的な物語でもある。
しかしこうした彼の「キャリア」の中で、1つだけ例外がある。豊臣秀長に仕えた時代だ。秀長が没し、後を継いだ秀保も17歳で早世して大和豊臣家が断絶したとき、高虎は高野山に登って出家した。40歳を前に、武士としての一切を捨てようとしたのだ。豊臣秀吉自身が「あれほどの武士を失うのは惜しい」と強く説得して、ようやく山を下りた。
何度も主君を替えた男が、たった一度だけ、主君のために俗世を捨てようとした──。この意外な行動を生んだ起点に、1576年(天正4年)の出会いがある。当時、秀長37歳、藤堂高虎21歳。北近江・長浜の地(現在の滋賀県北部)で行われた交渉が、その後四半世紀にわたる主従関係を生み、やがて伊勢津32万石の大名・藤堂高虎を生んだ。
ビジネスの文脈に置き換えて考えてみると、これは「転職を繰り返してきたハイパフォーマーを、どう引き留め、どう育て、どう活躍させるか」という極めて現代的な物語でもある。
流浪の若者
ただ、2人が出会った1576年時点では、高虎は決して「有望な新卒」ではなかった。
高虎は近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町付近)の没落土豪の次男として生まれた。身長6尺2寸(約190cm)、体重30貫(約110kg)という、当代屈指の大男で、15歳で浅井長政に仕えると、姉川の戦い(『豊臣兄弟!』第15回「姉川大合戦」で描かれた)で初陣を飾った。ここまでは実力派の武将候補である。
問題はその後だ。1572年(元亀3年)、勲功をめぐる同僚との争いの末に相手を斬り捨てて出奔している。主家・浅井氏が1573年(元亀4年・天正元年)に滅亡すると、旧浅井家臣の阿閉貞征に仕えるが、阿閉が主家を裏切って信長に内応する姿に嫌気が差したのか、1カ月ほどで彼の元も去ってしまう。次に仕えたのが織田信長の家臣であった磯野員昌なのだが、理由は定かでないものの、この関係も3年で終わる。
4人目の主君となった織田信澄(信長の甥に当たる若い武将)の元では、丹波攻めで名のある武将を討ち取り、母衣衆(ほろしゅう。大名の精鋭から選ばれる名誉職)に加えられる功を立てた。しかし評価はわずか80石。これは現代の米価ベースでいうと、おおむね数百万円、目安として300~700万円ほどになる。戦功に見合う処遇ではないと感じた高虎は、信澄の元を去る。出奔後は浪人として各地を流れ、三河吉田宿の餅屋で餅を無銭飲食し、店主に正直に詫びて路銀まで恵まれたという「出世の白餅」の伝説が残る時期である(これは講談由来の逸話だが、当時の高虎の困窮ぶりを示すものとして広く伝わっている)。
主君を売る者、自滅する者、功を上げても正当に報いぬ者──高虎の目に、有象無象の戦国武将たちはそんなふうに映っていたのではないだろうか。腕に覚えがあり、自負心も強い若者にとっては、精神が削られるような経験だったに違いない。同僚を斬って出奔した過去を含め、履歴書は傷だらけだ。
そんな男が、1576年、秀長の前に現れた。
高虎は近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町付近)の没落土豪の次男として生まれた。身長6尺2寸(約190cm)、体重30貫(約110kg)という、当代屈指の大男で、15歳で浅井長政に仕えると、姉川の戦い(『豊臣兄弟!』第15回「姉川大合戦」で描かれた)で初陣を飾った。ここまでは実力派の武将候補である。
問題はその後だ。1572年(元亀3年)、勲功をめぐる同僚との争いの末に相手を斬り捨てて出奔している。主家・浅井氏が1573年(元亀4年・天正元年)に滅亡すると、旧浅井家臣の阿閉貞征に仕えるが、阿閉が主家を裏切って信長に内応する姿に嫌気が差したのか、1カ月ほどで彼の元も去ってしまう。次に仕えたのが織田信長の家臣であった磯野員昌なのだが、理由は定かでないものの、この関係も3年で終わる。
4人目の主君となった織田信澄(信長の甥に当たる若い武将)の元では、丹波攻めで名のある武将を討ち取り、母衣衆(ほろしゅう。大名の精鋭から選ばれる名誉職)に加えられる功を立てた。しかし評価はわずか80石。これは現代の米価ベースでいうと、おおむね数百万円、目安として300~700万円ほどになる。戦功に見合う処遇ではないと感じた高虎は、信澄の元を去る。出奔後は浪人として各地を流れ、三河吉田宿の餅屋で餅を無銭飲食し、店主に正直に詫びて路銀まで恵まれたという「出世の白餅」の伝説が残る時期である(これは講談由来の逸話だが、当時の高虎の困窮ぶりを示すものとして広く伝わっている)。
主君を売る者、自滅する者、功を上げても正当に報いぬ者──高虎の目に、有象無象の戦国武将たちはそんなふうに映っていたのではないだろうか。腕に覚えがあり、自負心も強い若者にとっては、精神が削られるような経験だったに違いない。同僚を斬って出奔した過去を含め、履歴書は傷だらけだ。
そんな男が、1576年、秀長の前に現れた。

小林 啓倫
経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。













