ゲーム業界への最後の「ご奉公」
——今後、RedRamをブラッシュアップしていく予定はありますか。
いいえ、RedRamのプロジェクトをこれ以上大きくすることはありません。
「他にそれができる人がいるようなことはやらない、やりたくない」というのが僕の個人的な信念です。
既存のスタイルのゲームは、いうまでもなくたくさんの作り手がいるわけなので、そこにあまり興味はありません。それよりは未開の地でチャレンジしたいのですが、そうなると予測と検証、その試行錯誤の回数、それにまつわる予算の問題などの理由から、どうしても小さな規模のゲームにならざるを得ないですね。たとえば、RedRamを現在のクオリティから商業レベルまで引き上げるには、それなりの作業とコストが必要になるでしょう。
それと、もういい加減「いい歳」なので、残り時間が少ないという身体的な問題もあります。自分のゲーム業界のための最後のご奉公は、次に現れる新奇性の高いゲームデザイナーのための環境作りだと考えています。1つのゲームを深く作り上げるより、無数の新しい遊び、特にAIを使ったゲームの提案をたくさんして、それを参考にしてもらう、「パクってもらう」ほうが合理的かなと思っているところもあります。
なにより、飽きっぽいという性分であることが、一番大きな要因かもしれません。
——今後、AIとゲーム業界はどんな関係になっていくと思いますか。
よく自分は「AIは貧者のツールである」と言っています。
大手のゲーム会社で十分な予算と人員が揃っているなら、あえてAIを使わなくても従来の1から10まで人間がやるという方法でゲームは作れてしまうでしょう。とはいえ、今後もゲームの規模を大きくして、クオリティーも上げてないといけないとなると、そろそろ限界に近いのでは? という気もしないではないです。アニメ業界のCG導入の経緯などを見ていると、ゲーム業界のAI導入でも同じようなことが繰り返されるんじゃないかと。
そんななかでインディーズゲームなどは、AIをもっと活用すべきだと思います。
生成AIは、シナリオライター、グラフィックデザイナーの作業の多くを代行してくれます。さらにこの先は、アニメーターの仕事も担えるでしょう。
そうすると、人間は根幹の遊びを考えることに集中できます。開発費、人員、どちらも少ないインディーズゲームは、AIに頼るべきです。それに、AIを使うこと自体で既存の遊び以外の新しい遊びが創発できる可能性もあると思います。
——これから先、モリカトロンがAIの領域で挑戦したいことを教えてください。
ゲームだけに特化するのではなく、全領域に対してエンタメAIを提供していきたいというのが、モリカトロンの野望です。
「全ての道はエンタメにつながる」が持論です。
消しゴムで考えるとわかりやすいのですが、消しゴムは誕生してからしばらくの間は、よく消えるか、折れたり汚れたりしないかなどの機能開発が中心となっていました。その進化がある程度飽和すると、今度は「キン消し(キン肉マン消しゴム)」や食べ物の形の消しゴムなどのようなエンターテインメント性が求められます。
人間(コンシューマー)が接する全てのサービスの機能が充実したあと、そのエンターテインメント化が求められるはず……というのが僕の仮説です。人間は、「正しい」だけじゃなく「楽しい」もなければ、欲しくない。栄養を摂るためだけのご飯じゃ満足できないはず。という仮説です。
その仮説に従って、AIはマンマシン(人間と機械)の間を取り持つエンターテイメントを提供する有効なツールとなるはずなので、それを作りたいです。
例えば、白雪姫の魔法の鏡のような存在です。忠実に姿を投影するだけじゃなく、話相手となってくれて、雑談やらアドバイス、人生相談、健康管理までしてくれる相手となる鏡。それを実現できるのはAIより他はないと考えています。
——ありがとうございました。ところで、RedRamは、どうしてスタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」に出てくる“REDRUM(Murder = 殺人の逆さ読み)”とはつづりが違うのでしょう。何か深い理由があるのですか。
これは、「殺人」の英語の綴りを「Marder」と勘違いして、最後の最後まで気がつかず、しかも誰も指摘してくれなかったという、お恥ずかしい理由によるものです(笑)
——なんと(笑)そういう気まずいことはAIが教えてくれたらよかったのに!
いいえ、RedRamのプロジェクトをこれ以上大きくすることはありません。
「他にそれができる人がいるようなことはやらない、やりたくない」というのが僕の個人的な信念です。
既存のスタイルのゲームは、いうまでもなくたくさんの作り手がいるわけなので、そこにあまり興味はありません。それよりは未開の地でチャレンジしたいのですが、そうなると予測と検証、その試行錯誤の回数、それにまつわる予算の問題などの理由から、どうしても小さな規模のゲームにならざるを得ないですね。たとえば、RedRamを現在のクオリティから商業レベルまで引き上げるには、それなりの作業とコストが必要になるでしょう。
それと、もういい加減「いい歳」なので、残り時間が少ないという身体的な問題もあります。自分のゲーム業界のための最後のご奉公は、次に現れる新奇性の高いゲームデザイナーのための環境作りだと考えています。1つのゲームを深く作り上げるより、無数の新しい遊び、特にAIを使ったゲームの提案をたくさんして、それを参考にしてもらう、「パクってもらう」ほうが合理的かなと思っているところもあります。
なにより、飽きっぽいという性分であることが、一番大きな要因かもしれません。
——今後、AIとゲーム業界はどんな関係になっていくと思いますか。
よく自分は「AIは貧者のツールである」と言っています。
大手のゲーム会社で十分な予算と人員が揃っているなら、あえてAIを使わなくても従来の1から10まで人間がやるという方法でゲームは作れてしまうでしょう。とはいえ、今後もゲームの規模を大きくして、クオリティーも上げてないといけないとなると、そろそろ限界に近いのでは? という気もしないではないです。アニメ業界のCG導入の経緯などを見ていると、ゲーム業界のAI導入でも同じようなことが繰り返されるんじゃないかと。
そんななかでインディーズゲームなどは、AIをもっと活用すべきだと思います。
生成AIは、シナリオライター、グラフィックデザイナーの作業の多くを代行してくれます。さらにこの先は、アニメーターの仕事も担えるでしょう。
そうすると、人間は根幹の遊びを考えることに集中できます。開発費、人員、どちらも少ないインディーズゲームは、AIに頼るべきです。それに、AIを使うこと自体で既存の遊び以外の新しい遊びが創発できる可能性もあると思います。
——これから先、モリカトロンがAIの領域で挑戦したいことを教えてください。
ゲームだけに特化するのではなく、全領域に対してエンタメAIを提供していきたいというのが、モリカトロンの野望です。
「全ての道はエンタメにつながる」が持論です。
消しゴムで考えるとわかりやすいのですが、消しゴムは誕生してからしばらくの間は、よく消えるか、折れたり汚れたりしないかなどの機能開発が中心となっていました。その進化がある程度飽和すると、今度は「キン消し(キン肉マン消しゴム)」や食べ物の形の消しゴムなどのようなエンターテインメント性が求められます。
人間(コンシューマー)が接する全てのサービスの機能が充実したあと、そのエンターテインメント化が求められるはず……というのが僕の仮説です。人間は、「正しい」だけじゃなく「楽しい」もなければ、欲しくない。栄養を摂るためだけのご飯じゃ満足できないはず。という仮説です。
その仮説に従って、AIはマンマシン(人間と機械)の間を取り持つエンターテイメントを提供する有効なツールとなるはずなので、それを作りたいです。
例えば、白雪姫の魔法の鏡のような存在です。忠実に姿を投影するだけじゃなく、話相手となってくれて、雑談やらアドバイス、人生相談、健康管理までしてくれる相手となる鏡。それを実現できるのはAIより他はないと考えています。
——ありがとうございました。ところで、RedRamは、どうしてスタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」に出てくる“REDRUM(Murder = 殺人の逆さ読み)”とはつづりが違うのでしょう。何か深い理由があるのですか。
これは、「殺人」の英語の綴りを「Marder」と勘違いして、最後の最後まで気がつかず、しかも誰も指摘してくれなかったという、お恥ずかしい理由によるものです(笑)
——なんと(笑)そういう気まずいことはAIが教えてくれたらよかったのに!
森川 幸人
ゲームAI設計者、グラフィック・クリエイター、モリカトロン株式会社代表取締役、筑波大学非常勤講師
ゲームAIの研究開発、CG制作、ゲームソフト、アプリ開発を行う。ゲーム「がんばれ森川君2号」「ジャンピング・フラッシュ」「アストロノーカ」「くまうた」「ねこがきた」などを開発。ゲームAIに関する論文「ゲームとAは相性がよいのか?」(2017年・人工知能学会)などを執筆。X:@morikawa1go