老眼や近視も多様性？ ──独立系書店店主が選ぶ「多様性の常識がアップデートできる本」5選

2024.8.9

「誰かの困難」にとことん向き合って生まれたフォント

目にやさしく読みやすい、と今や日常的に文書で使用している人も多いUD（ユニバーサルデザイン）デジタル教科書体。現在はWindows標準フォントとして搭載されているが、実はディスレクシア（読み書き障害）やロービジョン（弱視）の人たちが読みやすい書体を作ろう、という著者の情熱が新たなフォント作りの原動力だった。

本書は、約8年がかりでUDデジタル教科書体を開発したデザイナーの物語。UDフォントの開発を構想していた著者は、「誰にでも読みやすい」を追求しようと、ロービジョン研究者や特別支援学校を訪れる。そこで芽生えた危機意識から、どんな子どもたちにも読みやすく、教育現場で扱いやすい書体開発に奮闘していく。社内事情を含め、紆余曲折の日々であったが、多様な視点を持ち熟考すること、真の目的を忘れないこと、諦めずに腐らない打たれ強さなど、著者の仕事への姿勢に終始胸を打たれる。

2017年のリリース以来、世界に浸透したこの書体だが、著者は「まだ満足していない」と言う。ユニバーサルデザインの視点から社会を見据え、今も模索し続けているのだ。未来につながる提言が盛り込まれており、「本当の多様性とは何か」を深く考えてみたくなるだろう。

『奇跡のフォント』
発行：時事通信出版局
著者：高田裕美
定価：1980円（税込）
発行日：2023年4月1日
判型：四六判
頁数：240P
ISBN：978-4-7887-1871-5
https://bookpub.jiji.com/book/b622426.html

共感ではない他者理解「エンパシー」とは？

子どものころからよく言われてきた「相手の立場になって考えてみる」という意識について、どこまで掘り下げたことがあるだろうか。

本書の著者は、イギリスで労働者階級の学校に通う息子の生活を綴った『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がベストセラーとなり、以降数々の著作で社会問題を論じているブレイディみかこ氏。

『ぼくはイエローで～』に登場した「エンパシー」という言葉の定義についての反響は、思いのほか大きかった。本書では、意見の異なる相手を理解する知的能力である「エンパシー」について、社会学や心理学、経済やジェンダーの観点から説いていく。男女や立場、階層によるしがらみによって、こうしたエンパシー能力を発揮できていない事例が多々あることを指摘。親切心の有無や性格の問題でなく、社会構造によって思考停止に陥っているのではないかと気づかされる。

言葉の持つ概念の解像度を上げることで、いったい何が問題なのか、どうしたら個々が活躍しやすくなるのかなど、未来の社会を考える、また意識を変えるきっかけになる1冊だ。

『他者の靴を履く　アナーキック・エンパシーのすすめ』
発行：文藝春秋
著者：ブレイディみかこ
定価：825円（税込）
発行日：2024年5月8日
判型：文庫
頁数：320P
ISBN：978-4-1679-2209-2
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167922092

モヤモヤを手放さず未来へのヒントにつなげる

今回紹介した5冊を読んでもなお、多様性について「さらに複雑に感じた」「どうしていいか分からなくなった」と感じる人もいるだろう。そのモヤモヤした気持ちこそが、自分の多様性をアップデートするスタート地点。「マーケティング」や「テクノロジー」、「フォント」、「生きづらさ」など自分の興味を持ったものを、まずは1冊だけでも読んでみよう。多様性に対する自分の視野が広がるのをきっと感じられるはずだ。

多様性やソーシャルグッドの概念は時代や環境、対象者に応じて変化し続けていくもので、絶対的な解答や定義づけのゴールは困難だ。モヤモヤを完全に手放すことはできないが、、それでも個々が現場や当事者たちに向き合い、互いを尊重した環境を育むことで、人びとは自己実現を果たし、生きやすい社会へと近づける。

多様性を推進するほど、見えにくくなる構造的な障壁が立ちはだかる危険性もある。「誰のための」という目的を見失わず、いろいろな立場の視点から考えてみることが大切だ。それを未来へのヒントにつなげたい。