ヤバい住所に共通する“場当たり的”な意思決定
というわけで、それぞれの事例について、経緯や背景事情などを掘り下げて調べていきました。すると、どうやら「なぜこんなことが起こったのか」、さまざまなヤバい住所に共通する要素があるらしいことに気付きました。なんというか、みんな基本的に目の前のことしか考えてないんですよね。場当たり的というか。
同じ市内で隣り合う「わさか」と「かにがさか」
代表的なのは、本書第2部「ヤバい日本の住所」で紹介した、兵庫県明石市にある和坂地区の「まったく同じ表記なのに違う住所がある」例でしょう。和坂には「わさか」と「かにがさか」という異なる2つの読みのエリアが同じ市内に併存していて、しかもそれらが隣接しています。単純に同じ表記で違う読みの地名であれば、八幡に対して「やはた」「はちまん」など全国で枚挙にいとまがありませんが、同じ市町村内など近傍で読みが違う例はさすがに多くありません。混乱すること必至なわけですから。まして和坂のように隣接している例は極めて珍しいです。
で、そうなった経緯が何かといえば、
「和坂と書いて『かにがさか』と読むのは難しいから、住居表示を導入するついでに読みを『わさか』に変更しよう」
「ところで住居表示を導入するエリアは人が住んでいるあたりだけでええやろ、線路沿いのところはわざわざ住居表示化するまでもないな」
と判断した挙句に、
「なんということだ、街が発展した結果、人が住むと想定していなかった線路沿いの和坂(かにがさか)エリアにも建物が建ってしまったどうしよう」
なんですから、もう少し何とかならなかったものですかね、と思わざるを得ません。
で、そうなった経緯が何かといえば、
「和坂と書いて『かにがさか』と読むのは難しいから、住居表示を導入するついでに読みを『わさか』に変更しよう」
「ところで住居表示を導入するエリアは人が住んでいるあたりだけでええやろ、線路沿いのところはわざわざ住居表示化するまでもないな」
と判断した挙句に、
「なんということだ、街が発展した結果、人が住むと想定していなかった線路沿いの和坂(かにがさか)エリアにも建物が建ってしまったどうしよう」
なんですから、もう少し何とかならなかったものですかね、と思わざるを得ません。
「わさか」エリアと「かにがさか」エリア(『ヤバい日本の住所』より)
2年で「東栄町」に戻った新潟市北区の「豊栄東栄町」
似たような事例として、本書には取り上げませんでしたが、新潟県新潟市北区の東栄町には「とうえいちょう」と「ひがしさかえまち」の2カ所がある、というのも有名どころの1つです。
「とうえいちょう」の方は、元々新潟市と合併する前の旧・豊栄市に属していたのですが、2005年の合併時にちゃんと「新潟市東栄町(ひがしさかえまち)と紛らわしいので」と至極まっとうな判断がなされた結果、消滅する市名の豊栄を冠して「新潟市豊栄東栄町(とよさかとうえいちょう)」と変更されてるんですよね。ところがそのたった2年後の2007年、新潟市が政令指定都市になり、行政区が導入されたタイミングでなぜか再び「豊栄」が取り除かれ、「新潟市北区東栄町(とうえいちょう)」に戻ってしまっているのです。「紛らわしいので」とされた新潟市東栄町(ひがしさかえまち)も北区に含まれているというのに!
なぜそうなったのかについて、ついぞ公式な発表を見たことはありませんが、よそ者の野次馬でも気付くこの重複に現地の人が気付いていないとはとても思えません。うっかりさんの印象が強かった「和坂」の例と異なり、ここには「何が何でも『東栄町』という名前を取り戻す」という強い意思が透けて感じられるような気がします。表記を再び重ねられた「ひがしさかえまち」の方は、敷地がほぼ新潟競馬場の厩舎だったところであり、「とうえいちょう」の住人にとっては「人もろくに住んでいない『ひがしさかえまち』になぜ我々の方が譲らねばならなかったのか」という思いもあったのかもしれません。それが住所システムという社会基盤に対して大きな混乱を招くであろうことはおそらく重々承知の上で。
「とうえいちょう」の方は、元々新潟市と合併する前の旧・豊栄市に属していたのですが、2005年の合併時にちゃんと「新潟市東栄町(ひがしさかえまち)と紛らわしいので」と至極まっとうな判断がなされた結果、消滅する市名の豊栄を冠して「新潟市豊栄東栄町(とよさかとうえいちょう)」と変更されてるんですよね。ところがそのたった2年後の2007年、新潟市が政令指定都市になり、行政区が導入されたタイミングでなぜか再び「豊栄」が取り除かれ、「新潟市北区東栄町(とうえいちょう)」に戻ってしまっているのです。「紛らわしいので」とされた新潟市東栄町(ひがしさかえまち)も北区に含まれているというのに!
なぜそうなったのかについて、ついぞ公式な発表を見たことはありませんが、よそ者の野次馬でも気付くこの重複に現地の人が気付いていないとはとても思えません。うっかりさんの印象が強かった「和坂」の例と異なり、ここには「何が何でも『東栄町』という名前を取り戻す」という強い意思が透けて感じられるような気がします。表記を再び重ねられた「ひがしさかえまち」の方は、敷地がほぼ新潟競馬場の厩舎だったところであり、「とうえいちょう」の住人にとっては「人もろくに住んでいない『ひがしさかえまち』になぜ我々の方が譲らねばならなかったのか」という思いもあったのかもしれません。それが住所システムという社会基盤に対して大きな混乱を招くであろうことはおそらく重々承知の上で。
「ヤバい住所」の裏にあった、地域の熱い思い
このように、「ヤバい住所」はどの事例をとっても「住所という仕組みを考えたら、これではさすがにまずいだろう」というものばかりです。しかし、裏を返せばそれは「住所についてどんな決定をしようとも、それはその自治体(市区町村)の判断であり、とがめられることはない」と保証している法制度と、同時にそれぞれの地域でずっと育まれてきた「私たちはここに住んでいるのだ、住み続けてきたのだ」という強い思いがあるからだともいえます。
本書第1部「そもそも日本の住所の仕組みはどうなっているのか」の中の「地域の区分」の章で述べましたが、大字・丁目など、地域の名称はそれぞれの自治体の専権事項です。他に例を見ないほど国の関与が緩い部分で、というより国は何もコントロールしようとしていないというべき状況です。
それは地域の地名に対する思いが強かったからそうなったのか、地名に関する権限をごっそり地方自治体に委譲した地方自治法ゆえにそうなったのか、卵が先か鶏が先かは分かりませんが、出発点はやはり前者ではないのかなと筆者は想像します。それほど本書に収録した日本中の「ヤバい住所」には熱い思いがあふれていました。「ディスって消費してやろうとしてすいません」と書き終えた今となっては思います。まあでも、ちょっとはディスられても仕方ないですよね?
といった内容がてんこ盛りの本書、ぜひ書店で見掛けたらお手に取って目次でもパラパラ眺めてやってください。もし何かしら琴線に触れる部分がそこにあったとしたら、きっとこの本を気に入っていただけると思います。
本書第1部「そもそも日本の住所の仕組みはどうなっているのか」の中の「地域の区分」の章で述べましたが、大字・丁目など、地域の名称はそれぞれの自治体の専権事項です。他に例を見ないほど国の関与が緩い部分で、というより国は何もコントロールしようとしていないというべき状況です。
それは地域の地名に対する思いが強かったからそうなったのか、地名に関する権限をごっそり地方自治体に委譲した地方自治法ゆえにそうなったのか、卵が先か鶏が先かは分かりませんが、出発点はやはり前者ではないのかなと筆者は想像します。それほど本書に収録した日本中の「ヤバい住所」には熱い思いがあふれていました。「ディスって消費してやろうとしてすいません」と書き終えた今となっては思います。まあでも、ちょっとはディスられても仕方ないですよね?
といった内容がてんこ盛りの本書、ぜひ書店で見掛けたらお手に取って目次でもパラパラ眺めてやってください。もし何かしら琴線に触れる部分がそこにあったとしたら、きっとこの本を気に入っていただけると思います。

河合 太郎
1973年、岐阜県生まれ。名古屋大学教育学部を卒業後、地図の企画制作販売を手がけるアルプス社で地図ソフトの開発に従事していたが、会社が民事再生を申請。それを買収したヤフーで「LatLongLab」など地図サービスの開発を行いつつ、Appleが新しく発表した自社製地図をディスっていたところを見つかり、そのままAppleに転籍、渡米。「マップ」アプリの改善を担当する。現在Sunnyvale在住。インターネット上の識別子はinuro。















