江戸時代のメディア王・蔦重こと蔦屋重三郎(演:横浜流星さん)の生涯を追う今年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~(以下、べらぼう)』。さまざまな問題に機転と度胸で立ち向かう蔦重の姿が魅力となって、大人気を博している。
しかし蔦重の活躍した18世紀後半(江戸時代中期~後期)は、これまで大河ドラマではあまり取り上げられておらず、戦国時代や幕末を描いた作品と比べて視聴者の側に背景の情報が少ない。そこで復習がてら、作品内で扱われる出来事の補足説明をしてみたい。第5回で取り上げるのは、天才浮世絵師・喜多川歌麿(演:染谷将太さん)と葛飾北斎(演:くっきー!さん)のその後だ。
バックナンバー:
NHK大河『べらぼう』復習帳 その1:徳川治貞 vs. 田沼意次
NHK大河『べらぼう』復習帳 その2:松平定信は改革者か、反動主義者か?
NHK大河『べらぼう』復習帳 その3:「ストライサンド効果」をマーケティングに利用した蔦重
NHK大河『べらぼう』復習帳 その4:松平定信の跡を継いだ松平信明、その後はどうなった?
しかし蔦重の活躍した18世紀後半(江戸時代中期~後期)は、これまで大河ドラマではあまり取り上げられておらず、戦国時代や幕末を描いた作品と比べて視聴者の側に背景の情報が少ない。そこで復習がてら、作品内で扱われる出来事の補足説明をしてみたい。第5回で取り上げるのは、天才浮世絵師・喜多川歌麿(演:染谷将太さん)と葛飾北斎(演:くっきー!さん)のその後だ。
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蔦屋重三郎の死後、明暗を分けた2人の絵師(筆者がGeminiで生成)
蔦屋重三郎の死
まさに「江戸のメディア王」という呼び名にふさわしい人生を送った蔦屋重三郎。喜多川歌麿、恋川春町(演:岡山天音さん)、山東京伝(演:古川雄大さん)といった多くの才能を世に送り出し、江戸文化の絶頂期を築いた彼が、その生涯を閉じたのは寛政9年(1797年)、48歳という若さだった。当時、店に住み込みで働いていた後の文豪・曲亭馬琴(演:津田健次郎さん)は、戯作者や版元の逸話をまとめた「近世物之本江戸作者部類」の中で、彼の死について「寛政9年の夏5月に脚気で亡くなった」と記している。
この原稿は「べらぼう」最終回の放送前に書いているため、蔦重の死が劇中でどのように描かれるかはまだ分からない。暗躍する人物の存在など、ドラマならではの展開が用意されている可能性もある。
しかし歴史的に見ると、蔦重が脚気で亡くなったという記録は特に不自然でもない(むしろ、それを逆手にとって物語を作ることもできる)。当時の江戸は、世界でも類を見ないほど、脚気が大流行していた都市だった。
この時代、地方では玄米や雑穀が主食だった一方、江戸では精米技術の発達によって、ヌカを徹底的に削ぎ落とした真っ白な「銀シャリ」が流通していた。大阪の商人・喜田川守貞が著した「守貞謾稿(もりさだまんこう)」には、江戸っ子たちは、庶民でさえ白米を1日に平均5合も平らげていたとある。富と名声を得た蔦重も、当然のように最上級の白米を常食とする生活を送っていたはずだ。
一方、現代でいう「おかず」に相当する肉や魚が一緒に摂取されることはまれで、味噌汁や漬物で白米をかき込むような食事が一般的だったとそうだ。しかしビタミンB1を含むヌカを取り除いた白米だけを食べ続けると、ビタミンB1不足により体内でのエネルギー代謝が阻害される。その行き着く先が「脚気」だ。
これは、当時の富裕層に典型的な死因で、将軍や横綱でさえ避けられなかった。皮肉にも、蔦重を死に至らしめたのは、彼自身が才能と度胸で掴み取った「成功」そのものだった。彼が愛し、プロデュースし、そして成功の証として享受した「江戸という都市の豊かさ」によって、その命が削り取られたのだといえるだろう。
この原稿は「べらぼう」最終回の放送前に書いているため、蔦重の死が劇中でどのように描かれるかはまだ分からない。暗躍する人物の存在など、ドラマならではの展開が用意されている可能性もある。
しかし歴史的に見ると、蔦重が脚気で亡くなったという記録は特に不自然でもない(むしろ、それを逆手にとって物語を作ることもできる)。当時の江戸は、世界でも類を見ないほど、脚気が大流行していた都市だった。
この時代、地方では玄米や雑穀が主食だった一方、江戸では精米技術の発達によって、ヌカを徹底的に削ぎ落とした真っ白な「銀シャリ」が流通していた。大阪の商人・喜田川守貞が著した「守貞謾稿(もりさだまんこう)」には、江戸っ子たちは、庶民でさえ白米を1日に平均5合も平らげていたとある。富と名声を得た蔦重も、当然のように最上級の白米を常食とする生活を送っていたはずだ。
一方、現代でいう「おかず」に相当する肉や魚が一緒に摂取されることはまれで、味噌汁や漬物で白米をかき込むような食事が一般的だったとそうだ。しかしビタミンB1を含むヌカを取り除いた白米だけを食べ続けると、ビタミンB1不足により体内でのエネルギー代謝が阻害される。その行き着く先が「脚気」だ。
これは、当時の富裕層に典型的な死因で、将軍や横綱でさえ避けられなかった。皮肉にも、蔦重を死に至らしめたのは、彼自身が才能と度胸で掴み取った「成功」そのものだった。彼が愛し、プロデュースし、そして成功の証として享受した「江戸という都市の豊かさ」によって、その命が削り取られたのだといえるだろう。
蔦重を失った喜多川歌麿
時計の針を少し戻そう。 蔦屋重三郎が生きていた頃、彼と喜多川歌麿はまさに「最強タッグ」だった。
蔦重が見いだした歌麿の才能は、女性の美しさを極限まで引き出す「美人大首絵(びじんおおくびえ)」にある。今のグラビア写真の元祖ともいえるこのジャンルは大ヒットを生んだが、同時に幕府の「風紀取り締まり」の標的となるリスクも抱えていた。
蔦重が見いだした歌麿の才能は、女性の美しさを極限まで引き出す「美人大首絵(びじんおおくびえ)」にある。今のグラビア写真の元祖ともいえるこのジャンルは大ヒットを生んだが、同時に幕府の「風紀取り締まり」の標的となるリスクも抱えていた。
「寛政の改革」の嵐が吹き荒れる中、蔦重は歌麿を巧みにプロデュースした。 過激な表現にはブレーキをかけ、幕府の役人が来れば巧みな弁明で煙に巻き、時には「これは遊女の絵ではなく、人相を見て性格を分析する『人相学』の絵です」とパッケージを変えて販売する。歌麿にとって蔦重は、才能を世に送り出すアクセルであり、社会的な死から守るガードレールでもあった。
そのため歌麿は絵を描くことだけに集中できた。政治的な根回しや交渉は全て蔦重が処理してくれたからだ。しかしこの分業体制こそが後の悲劇の伏線となる。蔦重の死によって、そのガードレールが消滅してしまうからだ。
そのため歌麿は絵を描くことだけに集中できた。政治的な根回しや交渉は全て蔦重が処理してくれたからだ。しかしこの分業体制こそが後の悲劇の伏線となる。蔦重の死によって、そのガードレールが消滅してしまうからだ。

小林 啓倫
経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。













