NHK大河『べらぼう』復習帳 最終回:何が違った?歌麿と北斎、蔦重の死後に明暗を分けた2人の絵師

小林 啓倫

Specialカルチャー映画・音楽

歌麿と北斎、何が違ったのか

蔦重の死後、2人が歩んだ道は対照的だった。もちろん「どちらが幸せだったか」を論じるつもりはないが、「蔦重以後の浮世絵界で成功したのはどちらか」と問われれば、北斎に軍配が上がるだろう。何が2人の明暗を分けたのか――それはずばり、「変われる力」の差ではないだろうか。

分かりやすい例が「戦う土俵」を変えたかどうかだ。北斎も若い頃は歌麿と同じく役者絵や美人画を描いていた。しかし幕府の取締りが厳しくなると、「風景画(名所絵)」という当時のニッチ市場にシフトした。自然描写は、幕府にとって「政治的意図のない無害なもの」であり、検閲が緩い安全地帯でもあった。「富嶽三十六景」は、70歳を超えた北斎がたどり着いた、最強の安全地帯でもあった。

現代のビジネスに重ねるなら「レッドオーシャン」で消耗戦を続けるのではなく、「ブルーオーシャン」を見つけて移動する戦略ともいえる。

さらにブランドに対するこだわりにも2人の差は表れている。歌麿が「喜多川歌麿」というブランドを守り続けたのに対し、北斎は生涯で30回以上も名前を変えた。「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍(まんじ)」といった具合である。ある画風で名声を得ると弟子にその名を譲り、自分はゼロから新しいスタイルを始める。その繰り返しだった。

もちろんブランドとそのイメージは、商売の武器として強力だ。蔦重の生前から、そして死後にはさらに、版元たちが歌麿に群がったのも「“歌麿”ブランドの美人画なら売れる」という算段があったからだろう。しかしそれは、歌麿を一つの場所にとどめる足かせにもなったのではないだろうか。その場所が快適なうちは良い。だが他に行き場がなく、その中で極端な方向——より官能的で退廃的な美人画——へ進むしかなくなったとき、「歌麿」ブランドは彼自身を破滅させるものになってしまった。

「引っ越し魔」だった北斎

さらに北斎については、もうひとつ「変えた」ものがある。いや、「変え続けた」といった方が正確だろう。それは住まいだ。

北斎は90年の生涯で93回も引っ越しをした「引っ越し魔」だった。美術史家・飯島虚心(1840—1910年)が、北斎を直接知る人びとへの聞き取りや北斎自身の書簡を基にまとめた「葛飾北斎伝」には、1日に3回引っ越ししたことさえあったと記されている。

では、なぜそこまで頻繁に引っ越したのか。よく挙げられる理由が「掃除嫌い・片付け嫌い」だ。北斎は自炊せず、惣菜や饅頭を包んだ包み紙、絵具や筆が散乱し、部屋が「ゴミ屋敷」のようになると我慢できずに転居したという。実際、弟子が描いた「仮宅の図」には、炭俵や竹の皮、包み紙、散らかった画材などが描き込まれ、「物置とゴミ捨て場が一緒になったようだ」と評された程である。

つまり北斎の転居癖は、ロマンや流浪のためではなく、「掃除や整理整頓から逃げるため」、あるいは「画業に専念するため」の実用的かつ衝動的な行動だった可能性が高い。しかも93回の引っ越しの多くは江戸の中で行われ、「遠くに行きたい」のではなく「単に今の生活環境から離れたい」だけだったようだ。その身軽さが、変わり続ける彼の人生を支える原動力となっていたのかもしれない。

本ストーリーから離れて考えてみると、自分を強力にバックアップしてくれた人物を失ったとき、あるいはその庇護(ひご)から離れざるを得なくなったとき、人はどのように身の振り方を考えるのか。それまでのスタイルを変えずに我を通すのか、それとも変化を受け入れ、自分を守れる新しい場所や方法を探し続けるのか。どちらが正解というわけではないが、歌麿と北斎の対照的な人生は、私たちに考える材料を与えてくれる。

そして「べらぼう」もいよいよフィナーレを迎える。蔦屋重三郎の人生を縦軸に据え、江戸文化と幕政の2つを背景に、芸術のプロデュース、コンテンツビジネス、幕府内の権力闘争など多様な要素を織り込んだ多層的な作品だった。本連載がさまざまな切り口から深掘りできることも、「べらぼう」がいかに魅力的な作品だったかを示しているだろう。本作品が長く愛されるとともに、来年の大河ドラマでも意欲的な挑戦が続くことを期待したい。
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小林 啓倫

経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。

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