なぜ、サトシ・ナカモトの正体は「解けない謎」なのか
ただウォレスは、本書でサトシの正体を断言しているわけではない。数ある仮説の中から「こうではないか」と考えられるものを示しただけであり、拍子抜けしてしまう読者もいるかもしれない。
しかし本書は、1つの重要な点を明らかにしてくれる。それは「サトシ・ナカモトとは誰か」という問いが、なぜこれほどまで解決が難しいミステリーになってしまったのかという、いわば「謎を生み出した背景」に関する情報だ。
もしビットコインという技術が、数学や科学の理論のように、純粋にそれ自体の価値を評価できる技術なら、単なる名誉の問題で終わるだろう。しかしビットコインは思想と実利が複雑に絡み合う。そこが解明を難しくしていると本書は説く。
一般的な消費者には今や、ビットコインは単なるマネーゲームの対象のように見えるかもしれない。しかし暗号技術でプライバシーや自由を守ることを重視し、政府や大企業の監視や支配に強く反発する思想を持つ人びとであるサイファーパンクにとっては、ビットコインは政府や銀行などによる中央集権から解放された「自由な貨幣」であり、まさに理想の結晶といえる存在だ。
そんな神聖な技術の発明者の正体を、本人の意に反して暴こうとするのは言語道断であり、サトシ・ナカモト自身だけでなくその関係者にとって「秘密を絶対に守ろう」という強い動機になっていると考えられる。
しかし本書は、1つの重要な点を明らかにしてくれる。それは「サトシ・ナカモトとは誰か」という問いが、なぜこれほどまで解決が難しいミステリーになってしまったのかという、いわば「謎を生み出した背景」に関する情報だ。
もしビットコインという技術が、数学や科学の理論のように、純粋にそれ自体の価値を評価できる技術なら、単なる名誉の問題で終わるだろう。しかしビットコインは思想と実利が複雑に絡み合う。そこが解明を難しくしていると本書は説く。
一般的な消費者には今や、ビットコインは単なるマネーゲームの対象のように見えるかもしれない。しかし暗号技術でプライバシーや自由を守ることを重視し、政府や大企業の監視や支配に強く反発する思想を持つ人びとであるサイファーパンクにとっては、ビットコインは政府や銀行などによる中央集権から解放された「自由な貨幣」であり、まさに理想の結晶といえる存在だ。
そんな神聖な技術の発明者の正体を、本人の意に反して暴こうとするのは言語道断であり、サトシ・ナカモト自身だけでなくその関係者にとって「秘密を絶対に守ろう」という強い動機になっていると考えられる。
もしサトシ・ナカモトがビットコインを売ったらどうなるか
こうした聖域のような考え方とは正反対の側面、すなわち実利の問題も重い。
前述の通り、ナカモトは初期にマイニングを行い、一定のビットコインを手にしている。その保有量は110万BTCと推定されている。これは、本文中では約750億ドル(日本円で11.12兆円相当)だったが、2025年9月30日時点では約1254億ドル(約18.6兆円相当)に達する。
もし“本物のサトシ・ナカモト”が活動を再開し、このビットコインを大量売却すれば、ビットコインの価格は暴落する。それはビットコインを大量に保有する個人や企業にとって、無視することのできない大問題だ。
あるいは“偽物のサトシ・ナカモト”であったとしても、自らを本物のサトシだと思わせることに成功すれば、その人物はさまざまな形で影響力を行使できるだろう。
さらに「本物のサトシだ」と認定された人物は、静かに暮らしたくても小国の国家予算に匹敵する資産を持つだけに、世間や悪人が放っておくわけがない。こうしてビットコインの莫大な価値は、先ほどとは逆に「自分こそサトシだ」と偽る動機と、また先ほどは違う理由から「自分がサトシだと名乗り出ない」動機の両方が強化される。
本書では、実際にさまざまなサトシの偽物が登場していることも説明される。“偽サトシ”の象徴がクレイグ・ライトだ。彼が何者なのか、そしてそのような騒動を起こしたのか、本書は詳しく書いている。ライトは何度も「自分こそサトシである」と訴え、ことごとく否定されているのだが、ライトはまったく意に介していない。というのも本書の原著刊行後の2025年3月には、裁判で生成AIによる虚偽証拠を提出したとして、英控訴裁判所から22万5000ポンドの罰金を命じられている。
一方、サトシ・ナカモトの疑いだけで実害を受けた例としてハル・フィニーが取り上げられている。彼は自らをサトシだと主張したことはなく、逆に周囲から疑われても一貫して否定してきた人物だ。しかしそう疑われただけで、文字通り生死に関わる事件に巻き込まれたことを本書は記している。
いうなれば、貨幣あるいは投機対象として独り歩きを始めたビットコインの存在が、「ナカモトは誰か」というミステリーに余計なノイズを重ね、真実へと至る扉に幾重にも鍵をかけているわけだ。
ウォレスはこうした周辺事例まで丁寧に拾い、サトシ・ナカモトをめぐるミステリーの全体像を浮かび上がらせる。
サトシ・ナカモトとは何者か、ビットコインとは何か。なぜナカモトの正体の特定がこれほど難しいのか。ウォレスのたどり着いた結論に沿えば、彼が本書の最後で、ある施設を訪れるシーンを描いているのも納得だ。15年にわたる旅の終着地として、これほどふさわしい場所はほかにない。その選択にどこまで同意できるかについては、ぜひ本書を読んで考えてみてほしい。
前述の通り、ナカモトは初期にマイニングを行い、一定のビットコインを手にしている。その保有量は110万BTCと推定されている。これは、本文中では約750億ドル(日本円で11.12兆円相当)だったが、2025年9月30日時点では約1254億ドル(約18.6兆円相当)に達する。
もし“本物のサトシ・ナカモト”が活動を再開し、このビットコインを大量売却すれば、ビットコインの価格は暴落する。それはビットコインを大量に保有する個人や企業にとって、無視することのできない大問題だ。
あるいは“偽物のサトシ・ナカモト”であったとしても、自らを本物のサトシだと思わせることに成功すれば、その人物はさまざまな形で影響力を行使できるだろう。
さらに「本物のサトシだ」と認定された人物は、静かに暮らしたくても小国の国家予算に匹敵する資産を持つだけに、世間や悪人が放っておくわけがない。こうしてビットコインの莫大な価値は、先ほどとは逆に「自分こそサトシだ」と偽る動機と、また先ほどは違う理由から「自分がサトシだと名乗り出ない」動機の両方が強化される。
本書では、実際にさまざまなサトシの偽物が登場していることも説明される。“偽サトシ”の象徴がクレイグ・ライトだ。彼が何者なのか、そしてそのような騒動を起こしたのか、本書は詳しく書いている。ライトは何度も「自分こそサトシである」と訴え、ことごとく否定されているのだが、ライトはまったく意に介していない。というのも本書の原著刊行後の2025年3月には、裁判で生成AIによる虚偽証拠を提出したとして、英控訴裁判所から22万5000ポンドの罰金を命じられている。
一方、サトシ・ナカモトの疑いだけで実害を受けた例としてハル・フィニーが取り上げられている。彼は自らをサトシだと主張したことはなく、逆に周囲から疑われても一貫して否定してきた人物だ。しかしそう疑われただけで、文字通り生死に関わる事件に巻き込まれたことを本書は記している。
いうなれば、貨幣あるいは投機対象として独り歩きを始めたビットコインの存在が、「ナカモトは誰か」というミステリーに余計なノイズを重ね、真実へと至る扉に幾重にも鍵をかけているわけだ。
ウォレスはこうした周辺事例まで丁寧に拾い、サトシ・ナカモトをめぐるミステリーの全体像を浮かび上がらせる。
サトシ・ナカモトとは何者か、ビットコインとは何か。なぜナカモトの正体の特定がこれほど難しいのか。ウォレスのたどり着いた結論に沿えば、彼が本書の最後で、ある施設を訪れるシーンを描いているのも納得だ。15年にわたる旅の終着地として、これほどふさわしい場所はほかにない。その選択にどこまで同意できるかについては、ぜひ本書を読んで考えてみてほしい。

小林 啓倫
経営コンサルタント
1973年東京都生まれ、獨協大学外国語学部卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後外資系コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業などで活動。著書に『FinTechが変える!金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』(朝日新聞出版)、『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(アレックス・ペントランド著、草思社)、『シンギュラリティ大学が教える 飛躍する方法』(サリム・イスマイル著、日経BP)など多数。












